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連作短歌:バーミヤンにて


麻辣の方ばっかりの火鍋ならいいよ今夜は甘口の役

おしゃべりの花は紹興酒で咲いて累積2000円ごろ枯れた

ひょっとしてお持ち帰りの餃子ごとキープしとく気ならば怒るよ

失くすもの計算するなこっち見ろ共犯者の目をするな弱虫

広東風餡のかかったあの鶏の熱はんぶんも自分にあれば

サービスの定食みたいな愛ですか箸はつけても溺れませんか

気怠さもUber Eatsに運ばせて昼まで魚でいたかったのに

引き汐に流すじゃあねの輪郭を瞬間映すバーミヤンの灯


たぶんはじめて意識しての連作、っぽいものをつくったのがこの「バーミヤンにて」です。初出は2022年の5月。連作のなんたるかも全く知らないのに、やおら思いついてしまって書き留めました。
以前にも連作らしきものはつくっていたような気もしますが、それは「同じテーマで詠んだ歌を並べたららしくなったな」程度のものでしたから、はい、これが最初の連作ですね。
というか今でも連作の定義ってよくわかっておらず、なんとなく短歌数首をまとめて物語的な流れを形成する詩型、くらいの解像度でやっております(合ってますよね)。

さてわが家の近所にもバーミヤンはあるのですが、もちろんごく普通にファミリー御用達の文字通りのファミレスです。なのだけど、サイゼリヤと同じくバーミヤンもまた呑み場としての顔もあり、その気になれば壺紹興酒を据えて結構なお大尽気分を味わうこともできてしまう店です。私もたまに友達と楽しんでたりします。

で、このバーミヤンをデートの場所というかお泊まり時の晩ごはんスポットに選ぶ現状追認の軽い怠惰に詩情を見出してしまいました。
どうして思い立ったのか自分でも謎ですが、彼氏の部屋の近所のバーミヤンていうのは、なんかいいな、て思った。判で押したような店ばかり並ぶ郊外のロードサイド、脱出不能な量産社会の牢獄感に、ちっとも進展しない恋が重なるその場所には、なんてことないバーミヤンの看板がデストピアのシンボルのようで、うむ、合うよな、て思った。

とはいえ連作らしくするだけで一杯で、とてもそこまで詠み込めてない。なので、夜のロードサイドの持つ独特の空気雰囲気は、いつかもっと突き詰めていきたいなと思う。キリンジのエイリアンズ(※ちょう好き)とまではいかなくとも。


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