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チベット短歌記番外編:河口慧海の歌、そのルーツについて考える

明治時代、仏教原典を求め単身でチベットへ潜入した僧侶、河口慧海。その旅が記された「チベット旅行記」の中で詠まれた歌を鑑賞するこころみ、今回は慧海の歌のルーツにちょっと、思いをはせてみようと思います。
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さて
発端は「ぽっぷこーんじぇる(@popcorngel)」さんがコメントと共に慧海の記事を共有してくださったPostで、私も「そうだよなぁ」と思いました。慧海の歌のルーツを「考える」ということについてです。

実を言うと私は文芸史にほとんど疎く、和歌と短歌の境界についてもbefore/after正岡子規とか与謝野鉄幹?くらいの解像度なのですが、時代的に慧海の作歌時期と重なっているので慧海の歌のルーツに、ちょっと興味が出てきました。

慧海の作歌はいつごろ、どんなふうに始まったんでしょう。本人の経歴を見ても、明治の和歌改革の中にいたとは思えません。また僧籍に入る前は藩儒土屋弘のもとで漢籍を、続いて同志社英学校に学んでおり日本の古典文学とはどうも接点が薄いです。僧籍に入ってのちは哲学館で学んでいたそうなので、旧説に囚われないリアリストとしての慧海の側面はここで培われた感じはしますけれど、で、どこで歌を詠むようになったんだ?

ひょっとしたら慧海の過去の著作にあたればヒントがあるのかもれません。となると国会図書館かー。あるいは「評伝河口慧海」もあたった方がいいかもですが、これはおそらく仏教者としての視点と思われるので、まぁまぁいずれは読んでみるにせよ。

閑話休題。
さて慧海の活動していた当時の歌檀は、近代短歌勃興期ということもあり新派旧派の対立(というか一方的な旧派批判)があった時代とされています。そんな中で歌を詠んでいた慧海ですが、ぽっぷこーんじぇるさんのコメントにあったように、新派との関係があるとはちょっと思えず、また逆に当時の御歌所やその関係者とのつながりがあるようにも見えません。

慧海の歌法についてぽっぷこーんじぇるさんは、伝統的和歌観を持った人が異郷をどう和歌に閉じ込めていくかの記録、と考察しておられます。なるほど!

異郷における和歌、というと私なぞがパっと思い浮かぶのは遣隋使の阿倍仲麻呂なわけですが、慧海の歌にもそのような感情は垣間見られます。一方で慧海の渡っていったヒマラヤ山脈やチベット高原は、近代の洗礼を受けた日本との落差、という時代的状況からも地理的な隔絶性からも、7世紀の随にも劣らぬ異界であったに違いなく、この点「異郷の和歌への閉じ込め」についての条件は仲麻呂より厳しいようにも思えます。そこに、期せずして彼の歌法が出現したとしたら、まぁ考えすぎですかね。

とはいえ。
大正期に北原白秋との交友もあったらしい慧海なので(白秋の「白南風」後記に記述がありまして、慧海は白秋に谷中の借家を紹介したのだそうです)文芸的なポジションはともあれ、作歌のスタンスとしては多少は新派寄りな気はします。でも作風を見るに古典的な和歌観に準じてもいる。それでいて、どちら方面であったにせよ、どこかで歌を学んでいた様子が、ちょっと見えにくい。
そして他方、「誰からも教わっていない」ってのも、これもやや考えにくいんです。

というのも、慧海は学びに対してとても真摯で、かつ現実的で実際的な方法論を持っていたはずなのです。それはパーリ語習得のため思想の異なる釈興然へ師事したり(決裂しますが)、チベット文化と言語の習得にダージリンで数ヶ月、ネパールのツァーランで1年もかけていることからもわかります。
無謀に見えるチベット行き計画も、実はよく準備されたもので、未知は未知としながらも現実的な部分ではかなりマネジメントされていたわけで、そんな高い計画性のある慧海が歌を嗜むにあたり誰にも師事していないとは、うーん、彼の性格から類推するにどうにも。

でも、と思うんですよね。
慧海の足跡を見ると本当にもうJust Do It が厳しく徹底されており、そこにホビーとしての遊びの影が見えません。だからこそ作歌が、彼の生活の中にある自由の余白だったのかもしれないなぁ、と、ちょっと思う。
道を極める学びにおいては真摯、慎重、現実的、で徹底的に学び尽くす慧海ですが、おそらく歌は、慧海にとっては学びの対象ではなく、厳しい学びと戒律の中で、気晴らしのように始められたものかもしれない。

言うなれば独学でギターとか始めてしまう感覚でしょうか。プロ志向とかじゃなく、単純なコードで手慰みにフォークの弾き語りするみたいな、まぁ想像ですが。
でもそう考えた方が楽しいので、今はそう思うことにします。

師事する歌人もおらず、旧新の対立とも無関係な場所で、文芸を極めるでなく時代を拓くでなく、ときに古今集なんかの真似もしながら日々の気持ちを歌にしていく。歌壇の外側で自由に、でもちょっぴり承認欲求があるものだから自分の著作に織り交ぜたりして…。
そんな姿を想像すると、マガジンの序文でも言及したように、現代の多くのSNS歌人のようで(私だよ!)やたらに親近感が湧いてくる。
うん。やっぱりそういう風に思っておこう。

ところで冒頭のタイトル画像、チベットへの出発直前のポートレートなのですが、ちょっと慧海!すんごいイケメンなお坊さんじゃないですか!
行動力抜群のリアリストで、ロマンと教養があって磊落で、でも好きな歌作は上手ってわけじゃない。そしてイケメン、なおかつ可愛いまでに意固地な性格。ますますやばいな、これは!


チベット旅行記はパブリックドメインなので青空文庫で読めます。Kindleでも0円!


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