見出し画像

戻らない人へ、でも笑いかけることはできる [日記と短歌]24,3,18


天国のドアへあなたはボサノバを神の子守唄として鳴らす/夏野ネコ


夢を見ました。逝ってしまった友達の夢です。

一時期私たちはバンドみたいなことをやっていました。バンド、というほど立派なものではない地味なアコースティックのユニットで、活動場所もダイニングバーの一角であるとか、お座敷感が強かった。

コロナ禍もあって活動はそう長く続かなかったのだけどメンバーとはその後もたまに遊んだり、メッセージをやりとりしたり、まぁ普通にトモダチでした。そのなかのひとりが急逝してしまったのは少し前の話です。
みんなの中ではいちばん穏やかな人でした。その穏やかさのままに、ガットギターでいつもボサノバを弾いていました。でも突然聴くことが叶わなくなった。この世ではもう二度と。

にわかに突きつけられた現実への驚きと悲しみで私はしばらく口がきけず、訃報を聞いた音楽仲間も、近況を温め合う間もなくみな一様に悲しみに暮れていました。

慌ただしくもお別れを告げ、そうして何日か経ったころふたたび夢の中でみんなに会いました。
亡くなった友を偲ぶためにライブをやろう、と、私たちはスタジオで練習をしていたのですが、しかしメンバーのひとりの到着が遅れており、練習はなかなか捗らず、私はちょっとイライラしていました。

遅刻したのはもともと時間にルーズな、またちょっとラテンなノリのある子だったのですが、こんな日にもかと内心穏やかではいられませんでした。
その穏やかならざる焦燥とともに時間は過ぎ、気づけば目の前で誰かがクネクネ踊っていました。そうです、遅刻したあいつです。

メンバーが欠けて悲しいはずなのに、場はやたらと盛り上がっています。なんだよ、とも思いましたが焦燥感はすっかりと消え、私も笑ってしまいました。亡くなったはずの友達もいました。穏やかに笑っていました。みんながいました。
そんな風にみんなでいつまでも笑って、練習は相変わらず始まらず、でも弾けるような楽しさの中でやがて目を醒ましました。

幸福感が白くかがやくさざ波のように私を包み、少しずつ引いていくときに、ああもう本当にいないんだと、布団のなかで少しだけ泣きました。

悲しいものは悲しくて、それは仕方のないことだし、簡単に割り切れはしないけれど、でも精一杯悲しんだらこの夢の中みたいに笑ってあげたいな、と、そう思います。きっとそうします。

この記事が参加している募集

今日の短歌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?