はたらくことを「ふふふ♪」にする
こんにちは。
なつむです。
はたらくこと、について、
書いてみたいなぁと思って、
筆を執りました
(あ、実際打っているのは
キーボードだとか、はい、突っ込まないで 笑)
はたらくことがしんどい、面倒、疲れる。
むかーし、おそらくは意図せずに
うっかり採用してしまった、そういう考え方。
だいぶ経つのに。
今でも、
まだまだ、すっかり馴染んでいる、気がする。
「嫌なことするから給料もらえるんだ」
的な。
今は、それは…
ある人にとっては
それが真実でもいいけど、
私にとってはそれは真実じゃなくていいや
って
頭でわかってる、
けど、
体感としてまだ
価値観として採用しちゃってる。
10年以上前かなぁ、
当時、なんで、そう言う言葉が、
妙に納得感、高かったんだろうなぁ。
んー。そう言うことにしておけば
他人のせいにできるからかなぁ。
今が楽しくなくても、仕事のせい。
あるいは。
誰かにとって都合のいい、
私にとっては決して都合のよくない
考え方を、信じ込まされていただけなのか。
それも、ありえるなぁ。
会社として
社員を雇っていくときには
気づかれないほうが
ある意味で支配しやすいということって
あるんだって。
んー。
でも、そういう世界の見方自体を
やめたいのだけどなぁー。
それはおめでたいのかしら。
あぁ、そうか、それもふくめて、
かつて、そういう世界に、
私が生きていたのか。
それごと全部、手放してしまえると、いいよねぇ。
はたらくことは喜びだ。
某R法人会さんに見学に呼ばれて行ったら、
(あ、ぼかしているけど、
悪い意味は何もなくて、
いらっしゃった方、皆様、
とても素敵です)
「喜働」
キドウ、と読む、多分普通は変換できない、
見慣れない熟語に出会った。
そのまんまの意味で
喜んで働く、という。
きっと、会員の皆様は、心から
喜んで働いていらっしゃるんだと思うので
それは本当にきっと素晴らしいこと、
なのだけれど。
私は、
こういうの、
自分については、
すごく、危うさを感じていて。
一度
信じることにしたら、
どっぷり行く。
できてなくても、
盲目的に信じたり、
何も、中身が腹に落ちないまま。
「はい!知ってます!
こういう場面って、
キドウって言っておけば、
ここのコミュニティでは
褒められるんですよね!!」
って
まるで実のないことをしたり、
しそうなんです、私。
まぁ、そういう失敗も
必要なら経験するのだから
いいのですけれども・・・。
キドウって、
喜働って
本来、文字まんまの意味で
きっと、すごく尊い。
でも、私は、
そうあれたらいいな!とは
すごく思うけど、
パシっとその状態に
自分がハマらない。
ので、
はたらくことは喜びです!
と、実感を持っては、まだ、言えないと感じる。
はたらくことを遊び……と、言うには早い
人生丸ごと「遊び」と
おっしゃる方がいて、
私も、すごくすごくすごく、
その概念が、
大好きなんだけれど。
遊びって言葉が、なのかなー。
すごく嫌いで苦手な面「も」同時に、ある。
普段こういう事って
書けない気がするけど、
今日は、書けたなぁ。
自分の中の違和感。
遊び、の中に、
不真面目、ふざける、っていう要素が
見え隠れする。
いや、してよいのですけれど。
子供の頃から、
元来ね、
自分が、真面目で。
ふざける、が、単に、
本人たちが楽しいだけではなくて、
自分がちゃんとしてほしいときに
ふざけられて、悲しかったりとか、
ふざけている人たちに
真面目さを【馬鹿にされた】
ことがあったりとか。
全員で一緒にふざけていたら、
本当に本当に本当に平和で
すっごく楽しくて
最高なんだと思う、
で、ふざけられない人も、
ふざけている人を
あぁいいよね、
うん、どうぞどうぞって
言える感じだったら
ほんとに素敵だと思う。
そうじゃない記憶があるんだね。
あるいは、
いわゆる男女の話で、
【遊ばれた】とか、ね。
遊ぶ、という言葉に、
ただただ楽しいのとは
異なる、
嫌なイメージも同時に
べっっっっったりと
くっついているのを感じる。
その悲しみが
まだまだ深いらしい。
恨んでいるのねぇ。。。
自分がおもったより、
思っていたよりも、
どうやら、
むかーしの自分は
傷ついてしまっているらしい。
遊びと言う言葉を本気で全力で
大好きになるには
もう少し、時間がかかりそうな
感じ。
だからまだ、
今はまだ、
はたらくことは遊び
と表現するのは
私には少し、
早いみたい。
はたらくことを「わーい♪」にしたい
はたらくことを
「わーい♪」という感覚に
近づけたいと思っている。
でも、、、、、、
読みきれないメール
捌ききれない仕事
忘れていく仕事
そうして増えるお詫び
それでまた遅れる仕事
いい加減、嫌になってるのに。
「わーい♪」は、
そういうときに目指そうとすると
余計に、
しんどくなるかなぁ。。。
はたらくことを「ふふふ♪」にする
わーい♪ のテンションも大好きだけれど
もうちょっと、ひねるとしたら。
もうちょっと、
「いろんなときの自分」に
寄り添ってみるとしたら。
「ふふふ♪」 かなぁ。
「ふふふ♪」
いいなぁ。
悪くない。
どうかしら?
そう、会社行く前に、「ふふふ♪」
仕事しながら「ふふふ♪」
仕事終わって「ふふふ♪」
誰かと一緒に「ふふふ♪」
自分ひとりでも「ふふふ♪」
誰かの嬉しくなることをする。
誰かが喜んでくれることをする。
誰かに貢献できることをする。
まだ見ぬ、遠い将来の誰かを
そっと支える仕事をする。
ときに熱く、
ときに冷静に、
直接言われる「ありがとう」も、
味わって。
言われることのない「ありがとう」を
自分が届けていることに、
ゆるぎのない、自負を持って。
その時の気持ちって、
多分、
「わーい♪」じゃない。
「ふふふ♪」くらいが、ちょうどいい。
楽しくないときには、
先に言ってみればいい。
「ふふふ♪」
きっと私の脳は混乱する。
「何が ふふふ♪ なんだ!?」
はてなマークと一緒に、
脳には「埋めるべき空白」ができる。
脳は、空白が苦手。だから、
必死に探してくれるはず。
屁理屈と思える手を使ってでも、
ときにでっち上げでも、
どうして「ふふふ♪」なのかを、
「そうか、だから「ふふふ♪」なのか」
と自分が納得できる何かを。
無意識さんが、探してきてくれた
その答え、
自分の脳の高性能さと
その速さに驚きながら、
屁理屈でもでっちあげでもいい、
「ふふふ♪」 になる理由を、
受け取ってしまおう。
あら不思議。
ほら。
もう、
はたらくことは「ふふふ♪」に、なったでしょ?
さ、
今日の仕事は、
どんな 「ふふふ♪」 にする?
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