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春の夢でありますようにと

混乱した気持ちのまま、このnoteを書いている。うまく言葉をまとめられる自信もない、けれどこの気持ちをこのまま心に留めておくこともできない。だからこのnoteは、ただのわたしの独り言だ。


春馬と健と言えば、わたしにとってはとても身近で、勝手に親近感を持っている俳優のひとりだ。下の名前を呼び捨てで呼ぶ芸能人なんて他にいない。大ファンの友だちに影響されたのもあるし、一度彼らが出ていたイベントに行って生で見たのも大きいかもしれない。

彼らがテレビや雑誌に出ているのを見ると、「あ。春馬だ」「健がいる」と無意識に目で追ってしまうような、そんな存在だった。かっこいいのに気取らなくて努力家で。活躍しているのを見ると自然と嬉しくなって、応援したくなる、そんな存在だった。


だから突然流れてきた訃報も、受け入れられるはずがなかった。

とても信じることなんてできなくて、頭の中が真っ白になって、「嘘でしょ」と声を漏らした。けれどSNSはその話題でいっぱいで、何より大ファンの友だちの悲嘆がこれは現実だと言い聞かせた。
身体から力が抜けた。出先でそのニュースを聞いて、家に帰る道のりが酷く億劫で、いつもよりずっと長い時間をかけて家に帰った。


なんで、どうして。
そんな言葉が涙とともに浮かんだけれど、そんなの当の本人以外には知る由もないし、SNSの余計な憶測を聞くぐらいなら何も知らないほうがずっといいと思って、うるさいSNSもテレビの報道もシャットアウトしている。


わたしは春馬本人のことなんて何にも知らない。けれど彼が真面目で努力家で、まっすぐで素直な可愛らしいただの好青年だってことは、痛いくらいに知っているんだ。
だからまだ、そんな簡単に追悼の言葉なんて並べないでほしい。「ご冥福をお祈りします」という言葉も、寄り添うように見えて手放すように聞こえてしまうから、少し苦手で。何より亡くなった人に対して、想像で何かを語るのはとても失礼なことだと思うから。


だからわたしは春馬の死に対して自分の悲しみ以外のことを語る資格はないし、正直これ以上の言葉は出てこない。
ああでも、健のことが心配だな。ふたりは仲が良かったはずだから。こんな世の中で、最期に会うことも叶わないかもしれないなんて。ふたりが並んでいるところ、好きだったんだよ。


本当はまだ、すべて嘘であるようにと願っているわたしがいる。これが悪い夢で、なんでもない朝がくればいいのに。




世界はそれを愛と呼ぶんだぜ