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【エッセイ】When the melody reminds me of Portland

<The Footnote>
営業時間外のナッスーミが呟く、ちょっとした思い出話やエピソード、エッセイです。

Everyone has a different melody in their heart.

特定の曲を聞くと、ある雰囲気がある曲を聴くと、ふと記憶が蘇る。そんな心象風景が誰の心の中にもある。私にとっては、アコースティックギターと男性シンガーが気だるく歌う、インディーフォークポップの響きはいつも、私の心をオレゴンに戻す。その音楽には秋の寂しげな赤と黄色の彩りが似合う。

今日、たまたまつけたSpotifyでの曲もそうだった。あの頃に聴いてた曲ではなくても、同じような雰囲気があると音楽はあの頃の思い出を見せてくれる。Weirdos-ちょっと奇妙な人たちが住む、と有名な街、ポートランドに私は少しの間だけ住んでいた。トータル8年間の在米生活の中、そのうちの4年を南オレゴンで、3年を東オレゴンで過ごしたけれど、余った1年だけオレゴン州で一番大きくて、全米1変わった街、ポートランドで過ごした。ポートランドには確かに、LAやNYのメインストリームのファションや生活様式を好む人は少なかった。どちらかというとフォークでレトロ、どこか懐かしい雰囲気が街を漂い、キラキラギラギラしてるものよりも、壊れたものを直して使う、みたいなシンプルな精神性。嫌いじゃなかった。

今でもまだ覚えている。日本の食料品や本が手に入るエリア、24と8/10が交わるストリート周辺で、よく買い物をした。仕事場であった日系企業は東ポートランドにあって、西側に住んでいた私は1時間弱かけて毎朝通勤していた。朝一番混むダウンタウン周辺のハイウェイでは5車線くらいあって、眠気で何度もぶつかりそうになったことがある。スタバのコーヒーを飲みながら、大音量でアメリカのポップやインディフォークを聞きながら、嫌々仕事へ向かっていた。

ポートランドはシアトルからも近い土地ということもあって、シアトルからビジネスで来る人もよくいた。仕事絡みで、シアトルでビジネスを立ち上げていた二人の日本人男性と知り合いになった。異国の地で、自分たちのビジネスを立ち上げているなんて、20代前半だった私の目にはとても大きなことに思えたし、年齢も確か10個くらいお兄さんだったその方達を私は尊敬した。

彼らには、アメリカで出会う自立した日本人の香りがした。あの特有の香りは、出会ってみないとわからないと思う。アメリカで出会う日本人男性は、いくつかタイプがあって、その中でも私がすごいなあといつも尊敬するタイプの人たち。めちゃくちゃやる気があって、自分の信念に基づいて起業したり、いつもどうやったらアメリカでアメリカ人より稼いで自立して安定するかというようなことを考えているタイプ。どうやったらお互いにwin-winになるか常に考えてるタイプ。大学でもそういう人たちは少なからずいた。留学生であるうちから、彼らはそんなことについていつも考えてるみたいだった。そんな人たちが日本にいたら、日本の経済はきっともっとよくだろうに。と思っていた。

そしてこういうタイプの人たちは、同志である在米日本人に対して、優しかった。いろんなことを教えてくれたし、ヘルプができることがあれば、なんでもしてくれそうだった。在米日本人の中には、無駄に日本人を嫌う人もいたけれど、実際に覚悟を決めて、アメリカですでにいた人は寛大に接してくれた人が多い。そうそう、彼らの共通点は、腹が据わってる。そういう感じで、家族がいたり独身だったりしたけれど、異国で住むことへの覚悟が決まっていた。

私は実は、この仕事を一年もしないうちに辞めることになったんだけど、その理由は結婚だった。婚約者の住む東オレゴンへ移るために、私はポートランドを去った。その直前に、確かみんなで鍋パーティみたいなものをやって、まだ知り合って日が浅かったのに、このシアトルからの男性のうちの一人は、私のためにと自分でギターを取り出して、「乾杯」を歌ってくれた。いろんな意味でびっくりした。

それまで、誰かが私のために歌を歌ってくれるなんてこと、なかったからびっくりした。そして彼の歌が、うまくて、カッコよくてびっくりした。そして、スマホもまだなかった時代、YOUTUBEにも日本人の参入がほとんどなかった時代、そんな間近で日本語の歌を聞けたという驚き。そして、私という、そこまで知らない日本人の女の子へという想いだけでの咄嗟の彼の優しさが見えたこと。彼は多分、日本人であるということだけで、私に歌を歌ってくれたのだと思う。同志である日本人を、応援したい気持ちが伝わった。アメリカでアメリカ人の家に「嫁ぐ」(という観念はアメリカにはないが)私を、「これからもアメリカで生きる日本人同士」として送ってくれてる感じがした。

「おめでとう」と日本語で言われると、本当に結婚するんだなと思った。

日本が嫌いだったから飛び出たのに、アメリカで出会ったのは、優しい日本人だった。「英語上達の敵」と大学時代、私は日本人から遠のいていたのだけど、実はポイントポイントで、日本人に救われたことはあった。日本人てだけで、想いを共有できてありがたいなって思うことがあった。

あれから15年は経っただろうか。私は結局日本に帰ってきた。あの時にポートランドで出会った人たちは、いったい何してるのだろう。まだアメリカでいるんだろうか。どんなことを考えながら、毎日いるんだろう。元気だったらいいな。国内でいるうちは特別と思ってなくても、一旦異国で日本人という絆と結束が固まると、独特の情になる。ああいうのも、ちょっと懐かしいな、また感じてみたいものだなと、ポートランドを思い出す音楽を聞く時、私は考える。

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