育児とキャリア両立の呪いを解く魔法、それは個人開発
このまま、私は、私という自我を手放して、この子の一部となってしまうのだろうか
深夜2時、泣き喚く赤子を呆然と抱えながら、幾度となくそう思った。
赤子と自分の境界線が、溶けてなくなって、ひとつになってしまうような、強烈な感覚だ。
睡眠不足で回らない頭、マミーブレインで物忘れが激しくなった気がする。
やっと寝かしつけ、布団に入った頃にはもう次の授乳時間が迫っている。
なかなか寝付けずSNSを開くと、周りの友人は順調にキャリアを積んでいるようで、流れてくる転職エントリが目に沁みるほど眩しい。
プログラマーは常に最新の技術をキャッチアップし、死ぬまで勉強しなければ続けられない
この業界にいると、よく目にする言葉である。
私も、産前は勉強会に出たり、技術書を読み漁ったり、それなりに楽しく勉強していた方だったはずなのに・・・
このままではまずい、何かをはじめなければと焦燥感にかられる。
それはまるで綱渡りをしながら読書をしようとしているようなものだったから、すぐに気持ちは落下した。
仕事も育児もなにもかも中途半端
そうしてるうちに4月になり、息子は0歳で保育園に通い始め、私は職場復帰した。
これであの焦燥感も少しは楽になるだろう、と思っていた。
しかし、またしても問題はやってくる。
集団生活の洗礼で体調を崩しがちな息子のケア、湯水の如く減る有給、自己研鑽はおろか目の前のタスクもろくにこなせず早退する日々。
そして何より、まだ0歳の息子と、一緒に居てやれない罪悪感。
メンタルは大破し、パートナーに当たり散らし、空前絶後の最悪の状況。
もはや誰も幸せではないように感じられ、自分が一体なにをやっているのか分からなくなってしまっていた。
一方で、息子は日々驚くほどのスピードでいろいろな物事を吸収して成長している。新品ピッカピカの人生だ。
オンボロ低スペックマシンの私なんかのキャリアより、この子にリソースを全投資するべきなのではないか。
仕事をやめて、育児にフルコミットするべきなのではないか、次第にそんな思いに駆られ始めた。
人生は何事をもなさぬにはあまりに長い
平均寿命が短かった昔であれば、子供達が巣立ち、その子供達が子を産み、祖父母として人生の黄昏どきを過ごすことができたのかもしれない。
けれど、平均寿命が伸び、晩婚・晩産化している現代において、自分のための活動は続けておいたほうが良い。
SNS上で「空の巣症候群」で検索すると、子供が巣立ったあとの喪失感に苦しむ親の声が散見される。
やめることはいつでもできる、だからもう少しだけ、踏ん張ってみることにした。
マズローの最下層より
己のキャパシティの狭さを痛感したので、週休3日で働くことにした。
会社は本当にいい人たちばかりで、本当に救いだった。
財布は痛んだが、時間を捻出するための設備投資(ドラム式、ホットクック、ルンバ、食洗機、つくりおきjpなど)をしたり、まずは心に余裕を持つことに専念した。
仕事に育児に、目まぐるしい日々を送っているうちに、あっという間に可愛い息子は1歳半を迎えていた。
ようやく朝まで寝て、ごはんもしっかり食べて、保育園も休まずに行けるようになった。
「なにかやらなければ」ではなく、「なにかやりたい」という気持ちが、初めて体の奥底から満ち溢れてきた瞬間だった。
「勉強しなければならない」を手放した先に
育児中、自分の時間が取れないことは、抗うことのできない、受け入れなければならない事実だ。
なので、自分の余暇時間に関しては、ROI(Return on investment 投資収益率)を徹底的に意識するようにした。
「努力する者は楽しむ者に勝てない」という、あまりにも有名な孔子の言葉がある。
私は「勉強」だと感じた時点で、その分野を思い切って切り捨てることにした。
そして、「気がついたら勉強していた」と思える分野に全てのリソースを投入することにした。
どんなときに、満ち足りた気分になるのだろう
どうしてプログラミングをはじめたのか。
自分の原点は、サービスを作って、誰かに便利だと思ってもらえることだったと思い出した。
ユーザーの困っていることを解決して、お金をもらうこと。
今こそ、その原点に立ち返ろう、というわけだ。
個人開発をはじめよう
私は、普段使っているエンジニアとしてのTwitterアカウント以外に、育児用のアカウントを持っている。
ある日「子供のプリントを管理するいい方法は無いか」と話題になっているのを見かけた。
気になってTwitter上で検索をかけると、たしかにプリント管理アプリについて悩む多呟きが散見される。
私自身、紙やPDFなど複数のフォーマットで渡される情報をどのように管理するべきか困っていたし、自分ひとりであればGoogle DriveやNotionなどのツールを利用すればいいけれど、パートナーと共有するにはややハードルが高いように感じていた。
「このアプリをつくるのは、きっと私の使命だ・・・」
その日、保育園にお迎えに行くときの道中の気持ちを、今でも鮮明に覚えている。
隣に秋を感じる、柔らかな夕日が差していた。
まずはじめに、潜在ユーザーの要望を収集することにした。
これにはTwitter検索や、競合アプリのレビューが参考になった。
レビューをGASで取得し、スプレッドシート上に展開して眺めたりしていた。
そうして集まった情報を元に決めたコンセプトが、これだ。
子育てパートナー間でのナレッジ共有アプリ
子育てに関する暗黙知を減らし、全員が当事者意識を持つ
家族と過ごす時間を増やせる・豊かにする
1日3分間でも、1年間に18.25時間が発生する。少しでも家族で過ごす時間を最大化する
ゆくゆくは、「このアプリに課金すると家族の時間が増える」アプリにする
導線は超絶シンプルにする
育児中はとにかく忙しいので、ユーザー登録も投稿も、タップする回数を極限まで減らす。必須項目もなるべくゼロにする。
競合アプリは投稿するまでのタップは2-3。必須項目もいくつかある。
Figmaでざっくりとプロトタイプを作成したあと、素早くMVPを出すために、業務でも使っているExpoでアプリを実装開始した。
デザインやアイコンは、自分が毎日目にしても飽きないように、少しだけこだわって作った。
サーバー側は、安くスケーラブルであることからFirebaseを選択した。
できれば、業務でも使っているGraphQLを使いたかったけれど、認証・DB・ストレージをそれぞれ用意する手間を考慮して、素早さが求められる今回はFirebaseに軍配が上がった。
リリース、そしてその先へ
毎日少しずつ開発を進め、気がつけば1年が経ち、季節は再び秋となった。
モチベーションが停滞したときは、育児アカウントで励ましてもらったり(本当にみんな優しい)、競合アプリのレビューやTwitterで困っている人を見つけては「私が!今!便利なやつ作ってるから!!待っててくれよな!!!」と念を送ったりしてやり過ごした。
「こんなの絶対に作り終わらないよーーー作り終わる未来が見えないよーーー」と正直、毎日思っていた。
けれど、ひとつずつでも、やっていればいつかは終わる。
それはまるで、部屋に散乱したレゴブロックやプラレールを、ひとつずつ拾い上げるときの感覚とほぼ同じだった。
そして、ついにアプリ『ポストック』をリリースすることができた
ありがたいことに日々ユーザー数は増えている。
ネット上のみならず、ママ友や保育園の親御さんなどからも「便利に使っています!」と嬉しい声も頂いた。
「私はこのために生まれてきたのかもしれない」と、本気で心の底から思えるような、筆舌に尽くし難い喜びだった。
最新の技術が追えなくたって
自分のあったらいいなを解決するための個人開発は、「だれかのあったらいいな」となりやすい。
とくに育児をしていると、まだまだペインポイントが多くあることに気付かされる。
世の中の大半の仕事は、根本的には、顧客の困っていることを解決して、お金を生み出すことなはずだ。
だれかの「あったらいいな」をプロダクトとして実現させること、これは最新の技術でなければ解決できない、なんてことはない。
ユーザーに価値を提供できるのであれば、手段は何だっていいのである。
けれど、結果的に新しい技術が必要になる場面が出てくるので、そのとき必要になってから勉強すればいい。
焦って勉強するのと、必要になってから勉強するとでは、気合いの入り方も違うものだから。
キャリアを両立し自己研鑽しつづけなければならない、という呪いを解くために
呪いの言葉は、いつだって自分に跳ね返ってくる。
キャリアにブランクが生じるのは、出産・育児だけではない。
介護や病気や怪我など、いつでもだれにでも、起こりうる事だ。
コミュニティが成熟し、多様化を迎えるにあたって、QOL重視で持続可能な働き方も、今後は受容していくべきではないだろうか。
そして、誰かの悩みはビジネスの種となる。
もしまたブランクが空いたとしても、人よりちょっとだけ得意なプログラミングを活かして、問題を解決していくことでお金を稼ぐことができるはず。
だから、今、コードが書けていなくたって、技術書が読めなくたって、焦らなくても大丈夫。
置かれた場所でアンテナを張りつづけることは、他のだれにもできない種まきとなる
きっとまた、生きていれば、仕事をしていれば、何かしらの理由で社会と空白ができることもあるだろう。
呪いの言葉は、自分だけでなく、何よりも大事なわが子やパートナーをも苦しめる。
そんなとき、また呪いを解けるように、ここに書き残しておく。
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