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病弱・気弱だった私が体を動かすことで救われてきた話~前編~

1日1noteも4日目。
(睡魔に負けて、1日間が空いてしまったけど、気にせずゆるーく継続していく)。

最近は、思考が過去と現在を行ったり来たりしているのだけれど、記憶がある6歳くらいから25歳になった今に至るまで、ひとつ「体を動かすこと」が私の人生を好転させてくれたなぁということに気づいた。

今日は、約20年間のスポーツとの関わりについて書いてみたい。

1. 病弱・気弱だった幼少期

4人兄弟の末っ子で、人一倍負けず嫌い。ただ、強気でいるのは家族の前だけで、知らない人の前では親の後ろに隠れる、典型的な内弁慶。集団行動がニガテで、幼稚園や小学校低学年の遠足はほぼ行けた記憶がないし、給食を保健室の先生と二人きりで食べていた時期もある。おまけに親が家を留守にするたびに高熱を出すという体も弱い子どもだった。

2. できない悔しさから必死に練習した小学2年生

気も体も弱い幼少期だったけれど、小学生になり、少しずつ友だちができると、友だちができるのに自分にはできない、ということに悔しさを覚えるようになった。

例えば、なわとび。友だちが二重跳びをひょうひょうとやっているのに、自分は一回もできない。それが悔しくて、学校に行く前、学校の休み時間、昼休み、放課後と必死に練習した。練習しすぎて、アキレス腱の腱鞘炎になり、1週間お医者さんから運動禁止令を出されたくらいだった(笑)

ただ、その練習の成果もあって、なわとび大会で入賞できるくらいには上達し、その時初めて「自分もやればできるんだ」とという自信が生まれた。

3. チームスポーツの難しさと楽しさを知った小学校高学年

なわとびでの成功体験から、色んな体を動かす楽しさを知った。15分の中休みにはなわとびをしたり、昼休みにはドッジボールをしたり、放課後は近所の男の子と野球をしたり、どんどん活発な子どもになっていった。

次に大きく変わったのは、小学4年生でバレーボールを始めた時。それまでに体を動かすことの楽しさを知ってはいたものの、みんなで協力して何かをするというのは初めての経験だった。

バレーボールは一つのボールをみんなで繋いでいかないと成り立たない。でも、同じチームメイトといえども、元々友だちではない子が10人くらい集まって同じ目標に向かうというのは、なかなか難しいものだった。

○○ちゃんと△△ちゃんがけんかをした。
○○くんは、ミスが多いから、ボールを回したくない。
どうしてあの子はあんなに自己中なプレーしかしないの。

コートの中でも外でもたくさんの衝突があった。

でも、チーム内での心が通い合ってないと、ボールが繋がることはない。必ずしも気が合うメンバーばかりではない中で、みんなが気持ちよくプレーするためには、どんな話し合いをしたらいいのか、自分がチームに貢献するためには、どういう役割を担ったらいいのか、色んなことを小さな頭で考えていた。

悩みもたくさんあったけど、大会の前にはお互いお守りを作り合って勝利を願ったり、けんかの後にはごめんねの手紙を書いたり、他チームの試合を見てみんなで作戦を考えたり、たまに惨敗して無言で食べるお弁当タイムがあったり、勝ち取った勝利の後はみんなで大喜びしたり、たくさんの喜怒哀楽を共にできるチームスポーツの楽しさを知り、仲間を得られた3年間だった。

4. ひたすら自分と向き合った中学時代

チームで何かをすることの楽しさを教えてくれたバレーボールだったけれど、中学生に入り、先輩後輩の上下関係が厳しい、顧問の言うことは絶対、という縦社会があまり合わず1年で辞めてしまった。

代わりに始めたのが、個人スポーツの陸上だった。

誰かが失敗したりサボったりしたら、「連帯責任」としてハードな練習を強いられていたバレー部時代と違い、陸上部は練習をサボろうが手を抜こうが怒られることはあまりなく、すべてが「自己責任」

きつい練習のとき、手を抜くこともできるけど、○○秒という数値として、明確に結果が突き付けられるシビアな世界だった。反対に、自分の頑張りがどんどん数値に現れてくる楽しさもあった。

そんな陸上を始め、数値として結果が見える面白さにどんどんハマっていった。最初のうちは、どんどん結果が出て、走り幅跳びの地区大会で優勝したり、駅伝で区間賞を取ったり、短距離も長距離もどちらも結果が出ていた私は半分テングになっていたのかもしれない。

そんな私を見越してか、陸上を始めて1年弱経ったとき、急に走れない時期がきた。どんなに練習してもタイムは落ちていくばかりで、大会に出るたびに過去最低記録を更新し続け、自信を失っていった。

結局は、スポーツ貧血になっていて、酸欠状態にあったから、長距離が走れないのはある意味、あたりまえだったのだけれど、ドクターストップがかかっていた数か月の走れない時間は、自分とひたすら向き合うことになった。

どのような食事をとったら走り続けられる体になるのか
走ることに対して「怖い」と思っている感情をどう克服していくのか
陸上に注いでたエネルギーをどこに注いだらいいのか

今まで走り続けていたものがピタッと止まって、空虚感を感じることが多かったけれど、食事やメンタルトレーニングの本を読んだり、ひたすら自分の気持ちを日記に書き溜めたり、内面的に大きく成長する機会を与えてくれた出来事だった。多分、この時期がなければ、結果が出ない人はただの努力不足、と人の痛みが分からない人になっていたのかもしれない。

5. 周りと支え合うことの大切さを知った高校時代

中学生の部活を引退してから、今度は勉強にハマり、地元を離れて進学校の高校に入った。思う存分勉強はできていたものの、今まで大好きだったスポーツとは離れてしまった。

母は良かれと思って、地元の同級生たちが陸上で活躍している新聞記事を送ってきたのだけれど、それを見たときに、このままスポーツに打ち込むことなく、高校生活が終わるのかな? と思うと、いたたまれない気持ちになった。結果として、一学期が終わった頃には、地元の高校に編入学し、また陸上を始めることにした。

自分で願って始めた陸上だったけれど、引退してから1年経った体は自分でもびっくりするくらい動かず、練習についていくのに必死。半年開いた同期との差に悔しさと焦りを感じて、練習中に涙がこらえきれなくなったこともしばしば。そんなときに、部活の先輩や同期が話を聞いてくれ、練習中も励ましの声をかけてくれた。

入部してから半年が経ち、少しずつ体も元に戻ってきた頃に、体育のバレーボールで捻挫をしてしまった。全治6週間、また走れない時期がきた。

「どうして自分ばかりこんなにツイていないんだ。。。」

という気持ちもあったけれど、いつまでも腐っているわけにもいかず、自分にできることを探し始めた。ちょうど新入生が入ってくる時期だったので、新入生に基本的な動きを教えたり、同期が自分のフォームチェックをできるよう動画を撮ったり、練習中に声掛けをしたり。

私が入ってきたばかりの時、支えてもらったように、人を支えることに集中した6週間になった。

インターハイ出場を目標に掲げ、体重管理をするために食事制限をしたり、練習後も家で筋トレをしたり、走るフォームを理論的に勉強したり、自分の動きを納得いくまで確認したり、とにかく結果を出すために打ち込んだ2年間だったけれど、引退試合では同期2人がインターハイへ出場し、私は県大会決勝戦の前に負けるという結果になった。

引退した直後は「あんなに頑張ったのに結果が出なかった」ということから、かなり落ち込み、無気力状態だけれど、後から振り返ってみると、一つのことに打ち込み、同じ志を持った仲間と切磋琢磨してきた2年間は色んなキツイ場面で私を支えてくれた。


あの時こういう気持ちだったなぁと思い出しながら書いたら、長くなってしまったので、今回はここまでにしたい。

社交性や自信を与えてくれた小学生の時、結果を出すことの難しさと自分と向き合うことの強さを与えてくれた中高時代、色んなスポーツとのかかわりがあったけれど、間違いなく、スポーツによって心も体も成長させてもらえたなぁと思っている。

後編は、生活を豊かにしてくれたスポーツとのかかわり方について書いていく予定。


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