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処分欲と映画『レオン』

2022年8月に書いた下書きが残っていた。


朝起きたら、急にあらゆるものを処分したくなった。

普段からいらないものを持っておくのが嫌で、使わないものはすぐ捨てる。片付けは苦手だから散らかってはいるけど、わたしの部屋に余分なものはほとんどない。

パソコンやスマホの不要なデータは即消すし、録画も途中まで見たらそこまでを部分消去する。メモしたノートはいらなくなったページをやぶって捨てるので、最終的にノートはペラペラで貧相な姿になる。我ながらやや病的だと思う。

そんなだからそもそもいらないものはあまり手元にないのだが、今はあらゆるものを処分したい。

10年前にこの衝動に襲われたときは、実家で昔のおもちゃや洋服をはじめ、写真や手紙、日記など、あらゆるものを捨てた。クローゼットはスッカスカになった。

そして今。本や漫画の整理からはじまり、それはまあいいんだけれども、困ったことに椅子やソファなど大型の家財を処分したい。なんならマンションを売りたい。

そんなことは絶対にしない方がいいとわかっているけど、でかいものをめちゃくちゃ手放したい。

そわそわしながら家中探し回った結果、捨てられそうなでかいものはない。仕方なく書籍類をひたすらメルカリに出し、もう70冊近く処分した。もう100冊くらいどうにかしたい。そしてやっぱり大型のものを捨てたい。


この時の何もかも処分したい衝動が、最近になって再発している。どうも物を持つのが好きではなく、去年8月の時点では手をつけずにいた義理と義務で所持していたあれこれも一気にメルカリに出した。捨てるのではなく他の人に受け渡すのであれば、最低限の義理は果たせる。

出品したあれこれは仕事部屋の棚にまとめて置いてある。収納が多い作りの家に住んでいるけど、本棚以外のスペースは結構スカスカ。テレビボードの引き出しはすっからかんになり、部屋中を探したが代わりにしまうものは見当たらなかった。

家を売りたい願望は落ち着いているけど、今度はテレビがいらない気がしてきた。5年前くらいに1年ほどテレビのない生活をしていた時期があったが、職種がらテレビはあった方がいいし、テレビがないとゲームができない。だからテレビは必要だという結論に至ったので、捨てない方がいい。理性ではわかっている。

物を持ちたくないと思うようになったのは、たぶん江國香織の『冷静と情熱のあいだ』の影響が大きい。「所有は最悪の束縛」という一文が頭にずっとある。「身軽=自由」であり、持ち物が少ないほど身動きはとりやすい。

そんなタイミングで久しぶりに『レオン』を観た。レオンが移動する時に持っているのは、手提げのケースと観葉植物。そこに途中からマチルダが加わる。

嫌な言い方をすれば、レオンはマチルダという荷物を背負ったから危機に追い込まれ死んだのであって、手提げのケースと観葉植物だけを持ち物にしていればこれまで通り生き続けていたのだと思う。

でも、死が間近に迫る最中、レオンがマチルダに伝えたのは「根を張った生活がしたい」だった。文字通り特定の場所で暮らすというだけでなく、マチルダに根を張り、一緒に生きていくという意味だったのだと、大人になって初めて理解できた。

マチルダの存在がレオンを死に追いやったし、マチルダのせいで面倒なことはたくさんあっただろうけど、それでも彼女と過ごした日々はレオンにとって満ち足りた日々だったのだろうと思う。

わたしも根を張った生活がしてみたいと思ってマンションを買ったけど、わたしが根を張りたいのは場所ではなく、人なのかもしれない。嫌になったらすぐ捨てたくなるたちではあるけども。


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