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熊野古道の筋肉痛により、亡き祖母を思い出す

今朝は8時過ぎに目覚める。昨日のnoteを書きながらうだうだして起き上がると、あらま〜体痛い〜。

午前中は少し仕事をして、テラスで少し本を読む。後ろでブンブン鳴っていて、振り向いたら蜂が花の蜜を吸っていた。こういうの久々に見たな。

蝶もいた

おやつでも食べようと午後から近くの道の駅へ向かう。大抵のおやつにたんぱく質は含まれていないので、出発前にオイコスを食す。たんぱく質の強迫観念に縛られている。

曇りだったけど、外に出たら晴れた。わたしが外に出れば晴れる。よく一緒にお出かけする友人からは太陽神と崇め奉られている。名に恥じない働きぶり。

道の駅の外の席で、京都で食べたあぶり餅みたいなお餅を食べる。今日はとにかく筋肉痛で、歩き始めがヨボヨボ。足が悪かった祖母の気持ちがわかるわぁと思ったら、急に悲しくなってしまった。

もう祖母が話したり動いたりを見ることはないんだなと、春に祖母が亡くなってから初めてちゃんと悲しくて、山を見ながら泣いた。こういうとき周りに人がいないのはありがたい。

祖母はチャーミングかつ毒気のあるすっとぼけた人で、孫とのUNO中、ドローフォーを「苦しめよ」と言いながら出したり、ひ孫のモンブランの上に乗った栗だけ食べたり、酔っ払って「孫かわいい!?」とだる絡みするわたしに「孫なんていらねぇよ!」と吐き捨てたりするような、最高のクソババアだった。もう会えないのか。

愛するクソババアを想いながら眺めた山と食べた餅

家守さんにおすすめしてもらった「ローションみたい」という温泉はなるほどすんごいぬるぬる。平成初期の家庭のお風呂みたいな雰囲気で、その名も女神の湯。外観も含め、どことなく場末のラブホテル感がある。

お風呂の縁に手をついたらツルッとなったところもローションだった。上品な言い方をすると高保湿化粧水みたいな感じ。

もはや当たり前のようにタオルなしでお風呂に入るようになってきた。多少不便ではある。

ノートがほしくて、ないだろうな〜と思いながらデイリーヤマザキへ行くも案の定なく、せっかくだから近隣の夕日スポットへ向かう。すると途中にコーナンがあり、無事ノートをゲット。

コーナンの駐車場からの景色

なんというか、何かに導かれている感がある。熊野古道自体、サブスクのサービスに和歌山の宿が4つしかなかったから来ただけで、そうでなければ存在自体知らなかった。

たまたま熊野古道を歩くのにちょうど良い季節で、観光客が戻る前で落ち着いている状況で、天気もよく、行きたいところにもスムーズに行け、ノートも買えた。

おとといは宿泊者さんとディズニーランドの話になり、20代の頃によく行っていたバーの店主と常連の子、近隣のディズニーオタクの居酒屋店主と4人で行ったのが最後です〜と話した夜、引っ越して疎遠になっていた例のバーテンダーから周年イベントのお誘いの連絡が来た。「アメニティもあるよ!」とあったが、ノベルティのことだろうか。

そして持参した本を読み始めたら、内容が家守さんが話していたこととまるで同じ。初日に家守さんから「和歌山には神様に呼ばれてきた」と言われた時は正直よくわからないと思っていたけど、今なら少しわかる。わたしもまた呼ばれた感じが少ししている。頑張らずともナチュラルにスピりつつある。

夜は新しい宿泊者さん。「どちらからきたんですか?〇〇?」と、Tシャツに書いてあった地名を読んだらすんごい顔をされた。Tシャツに地名が書いてあることを忘れていたらしい。霊能者が相手のあれこれを言い当てたときのリアクションを体験した気持ち。

同期とのオンライン打ち合わせで「メガネやん!美少女ちゃうやん!」「メガネでもかわいいですね(棒読み)」と言われる。ちゃんと読んでくれてるんだな。関西出身者からは近隣情報も教えてもらった。いいやつら。

部屋のテラスで晩酌しようと窓を開けたら蛙がいた。蛙は苦手で、昨日も山で何匹か見かけ、「わー!びっくりした!!!」と一度は大きな声を出してしまったけど、今は少しかわいく思えてきた。東京のでかいやつは引き続き苦手。

窓にへばり付いている

ノートを買ったコーナンは昨日の終着点、本宮の近く。車でも30分かかるんだなぁと歩いた距離を噛み締める。

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