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長時間労働が減らない理由は「定時に帰ってもやることがない」問題にあるのかも

※2017年1月13日、オーストラリアにワーホリ中の日記を転載

新卒で入った会社は、当時典型的な長時間労働体質だった。(今は違う)

面倒見の良い社員がたくさんいる体育会系の暑苦しい社風で、新卒採用のキーワードは「成長」。なんなら「徹夜で仕事するなんてかっこいい!」くらいに思って入社した。

だから連日終電帰りであろうと、土日出勤になろうと、「わたし、めっちゃ働いてる!」と当時は自己陶酔に浸れた。振り返れば、自己陶酔をするために無駄な仕事をして、無意味に会社に残っていただけだったけれど。そして案の定、入社2〜3年目には長時間労働にうんざりしていた。

入社5年目だったか6年目だったか定かじゃないが、その頃に会社が一部上場した。それにともない働き方改善の動きが出てきて、ノー残業デーができた。

長時間労働に不満を持つ社員にとって、これはただただ喜ばしい動きに思える。ところが、おもしろいもので文句を言う社員も少なくなかった。

「ノー残業デーになったって、どうせ持ち帰って仕事することになる」

「こんなに忙しいのに帰れるわけがない」

たしかに会社は業務量を減らす施策を同時に打ち出しているわけではなかったから、言い分はわからないでもない。でも、自分の業務を見直したり、上司に業務量について相談したりと、やれることはいくらでもある。なにより働く時間が減るような方針を会社が打ち出していることを、単純に喜ばないことが不思議だった。

いま、わたしはオーストラリアで毎日定時に帰っている。この生活になって痛感したのが、「帰ってもやることがない」ということだった。「どうせやることないし、もうちょっと会社にいようかな」と思ったことすらある。

そしてふと、ノー残業デーに不満を言っていた人のことを思い出した。その理由を深掘っていったら、もしかすると「早く帰ってもやりたいことがない」という答えが出てくるのかもしれない。

思えば、本当に働き方を変えたいと願う社員は、異動を申し出たり、転職したりと具体的な行動を起こしていた。それに比べて、ノー残業デーに不満をこぼすタイプの人には、どこか切実さがない。

ひょっとしたら、ノー残業デーに文句を言っていた人は心のどこかで「やりたいことがない」のを恐れているのではなかろうか。だから長時間労働に不満を言いつつも、「やることがない」時間が増えるノー残業デーを喜べないのではないか。

実際に「早く帰ってもやりたいことがない」状態に直面してみると、これがなかなかキツイ。

本を読んだり、勉強したり、映画を見たり、運動したり、人と会ったり、やれることはいくらだってあるのに、結局なんとなく時間を過ごしてしまう。自分が怠惰で無趣味な人間であることを痛感し、友達がいないのかもしれないと孤独を感じ、次第に自己嫌悪におちいる。仕事をしている方がよっぽど自分の価値を感じられる。

最近ではようやく自由な時間がたくさんあることに慣れてきて、少しは有意義な時間の使い方ができるようになってきたけれど、せっかくの自由な時間を無意味に過ごすことの精神的なつらさは、ある意味でやむを得ず長時間労働をしているよりもしんどい。

プライベートの時間をないがしろにするような働き方をしてきた人間には、やりたいことがないタイプの人も多い気がする。長時間労働を減らすには会社の制度を変えることも大事だけど、「定時に帰ってもやることがない」問題を解決することも同じくらい大事なのではなかろうか。

※2017年1月13日、オーストラリアにワーホリ中の日記を転載

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