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身近な大人が安心できる背中を見せる責任(子供から気付かされた話)

今週、家を中心に過ごした兄弟たちの3学期が静かに終わっていきました。
3学期の初めこそ家での過ごし方を色々と模索していた私と子供たちですが、自分達がどう過ごしたいかもわからない混乱の中にいて、あまり定まった過ごし方はなく。

今は何か新しいことを始める時期ではない、と痛感。
兄弟喧嘩も絶えませんが、それでも時間が経てば折り合いをつけられ、ご飯を食べられて、ぐっすり眠ることができる。
このことを大事にすべき時なのだと、思います。

ところで、子供たちと、特に小四長男と交わす毎日の会話がとても本質的で、気づいたことがたくさんあります。

見通しの大切さ

最近の長男ですが、毎日穏やかに過ごしているものの、日常生活の中で様々な不安に直面しているようです。
その不安の「理由」は明確にはわかりませんし多分複数のことがあるのですが、結果として起こっていることとして、フリースクールに行く予定の日に突然行けなくなったり、目の前にした食事が突然食べられなくなったりする、という状況があります。

なんでなんだろう・・とずっと思っていたのですが、なんとなくわかったことがあります。
彼には、「見通し」がとりわけ大事なのではないか、ということです。

例えば、食事の例。
手がつけられないものは、決まって、食べ切る自信がないものです。
例えば、初めて出された料理や元々嫌いな野菜、以前は「少しでも」と箸をつけていたものも全く食べなくなりました。
私が元々料理が得意でないので(汗)私が出したもので美味しそうに見えないものも手をつけません。
一方で、食べられるものといえば、うどん(あまり具のないもの)や冷凍食品、コンビニおにぎり、外食は喜んで行きます。
母としては情けない限りですが、一旦その話は脇に置いておいたとすると、味の定まっている「見通しのある」食事は食べられるのです。

フリースクールの件でも、なんでかわからないけど行けない、みたいなことが続いていましたが、先日いけなかった日に「もっとゆっくり考える時間が欲しい」と教えてくれました。その日の気分や体調がまだまだコロコロと変わる中で「今日行っても楽しめるかわからないから不安なのかな?」と聞いたところ、頷いてくれました。

もちろんこれが全てではないけれど、見通しが効くこと、が今超重要事項であることは確かなようです。

最も見通しが効かない、自分が大人になるということ

このような日々の中で色々と会話をするのですが、長男が時々、私の仕事のことや、大人について尋ねてくることが多くあります。
会話自体は非常にラフなのですが、時々、「仕事って大変なんだな〜」「俺は大人になれるのかな」「お母さんみたいにちゃんと働けるのかな」と言っていて、少しドキッとします。

もちろん、「大丈夫だよ誰だって大人になれるんだから」と返すのですが、きっと長男が心配していることはそんなことではないのでしょう。私は、彼に安心して大人になることを自分の背中で見せられているのかと思うと、とても不安になります。

思えば、ここ数年はリモートワークが中心で、私が忙しくしていることを子供は目の前で見ています。ミーティングが連続していて、お昼ご飯を食べ損ねたりしていることや、なにやら大変なことがあって疲れている時なども、よく見ています。

もちろん、大人の世界は楽しいことばかりではないはずです。
ただ、忙しさ>>>楽しさ、みたいな状態になっていないか、というと、すこぶる自信がありません。

「お母さん、忙しすぎるよ。お願いだから少し休んでほしい。」

と、つい最近、言われてしまい、その点、ぐうの音も出ないなあと・・・

明るい未来を見せてくれる大人が身近にいること

長男はとても見通しが大事という特性がある中ですが、だからこそ、とても本質的なことを教えてくれています。
そもそも、こんなに忙しいことは当たり前だったのか、ということと、その忙しさの本質にいよいよ向き合わなければならなそうです。

それだけでなくて、今そういった大人の当たり前が本当に当たり前だったのだっけ、ということを考え始めると、色々な疑問が湧きます。

子供たちに明るい未来を見せるために、今、自分の在り方から考えたいと思う、この3月末です。

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