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「子どもたちに民主主義を教えよう」を読んで

先日、元麹町中学校の工藤勇一先生の教え子である西川さんの本を読んで以降、工藤先生の書籍を興味深く読ませていただいています。

掲題の本は、民主主義とその土台としての教育について、わかりやすく、かつ、本質的に語られていると思います。

共感したポイント、気づきを書き出してみます。

多様性やインクルーシブといいつつ「対話」をしてこなかった

工藤先生の考えは「最上位目標」の言葉を使うことで、たびたび語られていますが、この本でもその「最上位目標」がポイントになっている点は同じです。
「誰一人置き去りにしない」ということは、多数決やルールなどによって綺麗に片付けることはそもそも難しいこと。
その場の誰もが合意できる最上位の目標を作り、その目標に向かって具体的に何をしていくかを考えるのに必要なのは「対話」。
多数決的な進め方でいつも溢れてしまうのは、数としては少数派となってしまう人々と意見。

このことが深く語られている本書を読んで、今の日本や社会で、人と違うことに恐怖すら感じることや、学校においても多くのことが「ルール」だからと決まっていて疑問すら持てないこと、etc。
これらのことがよくよく考えるとすごく異様なことだと感じられて、ゾッとしました。

従順で平均的な教育への疑問

本書では、民主主義の土台としての学校を作るために、従順さを求める学校教育は終わりにする、とキッパリと語られています。
非常に共感しました。

本を読んでいて、以前夏休みに子供と話していたことを思い出しました。自由研究について考えていたときのことでしたが、通っている学校では自由研究と言いつつ、「この中から2つ選んで取り組みましょう」、というように、あらかじめできる研究が決まっていたりします。

「自由研究なのに、自由じゃなくておかしい。」

この時感じた違和感は、思い過ごしではなかったのかもしれません。
一つ一つは小さいことかもしれませんが、これらに疑問を感じることもなく過ごした先に、「自律」ということはあるのでしょうか。

「思いやり」では解決しない、嫌いな人がいたって構わない

思いやり、という言葉に今まで不思議なくらい疑問を感じなかったのですが、読み進めていくと、こう言った言葉の根底にある「心の教育」こそ、疑問が湧いてきます。

そもそも、考え方も性質も違う色々な人がいるということは、とても面倒くさいものです。
大人の世界だって、色々反発を言ってくる人だとか、なかなか面倒臭い人だとか、どうしても自分とは意見が合わない、という人があるのが当然かと思います。

みんなで仲良くしましょう、はそもそも無理。
嫌いな人もいて当たり前(大人のわたしたちも嫌いな人いますしね。)。
だからこそ、性質も考えも違う個々が相互理解をし承認し社会を作るためには何が必要なもの。

「対話」

ということですね。

個性溢れる子供たちとの関わりも、色々と疑問を持てば持つほど面倒なことばかりですが、「対話」していくことに大いに意味がある、と思うと前向きになれます。

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