日常 - ゲームは子供との共通言語
兄弟たちが日中に何をするのかというと、それは、自然体では、ゲームやYoutubeといった最近。
特にゲームとの関係性は、ずーっと、私の頭を悩ませる種であったが、最近は子供たちとの共通言語になっている。
遅かれ早かれ、熱中するもの
ゲームについては、長い間、ずっと我が家の悩みの種だった。
長男がSwitchを手にしたのは小学1年生の誕生日。多分、もっと早くからやっている子もいたので決して早い方ではない。確か最初は「30分」という約束だった。
コロナになった時、家での過ごし方を悩みに悩んで、パソコンでマインクラフトをやるようになった。初めて立ち上げて、知らない間にサバイバルモードで進んでいてゾンビに襲われた時の恐怖を忘れない(苦笑)。
そのあと、兄弟たちが熱中するのはとても早かった。
時間制限を工夫したり、パスワードをかけたり、何度も約束をしたり、Wifiの設定などもいじった。
しかしいたちごっこの攻防戦。パスワードも約束も何度も突破された。
もし、あの時Switchを与えなかったら・・・
マインクラフトを始めなかったら・・・
何か変わったかしら。何度も思った。
親とちゃんと約束を立てて、時間の中でうまく楽しんでいる子もいる。
約束ができなくて、熱中してしまって離れられないのは、どうしてもうちの兄弟たちが忍耐力がないだけのように思えた。
あるいは、言うことを聞かせられることができない、と考えると、親の責任にも感じた。
それからだいぶ時間が経って、思うのは、確かにあの時「与える」ことをしなかったら、こんな問題に出会うのは「その時は」避けることができたかもしれないということ。
ただ、同時に、「その時は」避けられたとしても、必ずいつかまた直面するということもなんとなくわかる。
ゲームもその他のテクノロジーもどんどん進化している。最近のChatGPTなんかもそう。子供たちから、何かを取り上げることでいいことは何もない。結局どこかで出会うのだから。だったら早く出会って、ちゃんと向き合った方がいい。
今はそう強く思うので、出会ってしまったことをあまり後ろ向きに考えることはなくなった。
向き合い方のヒントをくれた、精神科医 関先生のメッセージ
で。いかにして向き合うか。受け入れても、やはり悩ましいのは変わらない。色々情報を集めた。
一番響いたのは、精神科医の関先生のセミナーに参加した時、発信されたメッセージ。
↓不登校新聞での記事がわかりやすく良い!(全文見られる!)
私は元々ゲームをしない。
だからかもしれないが、情報収集するにも、子供にどうやってうまくゲームを「やめさせるか」ということばかり考えていた。
関先生はご自身もゲーム好きであり、とてもゲームの特性を理解された上でメッセージを発信されていることにハッとした。
プラスして、精神科医としての根拠をもった見解は大変わかりやすく、「ゲームをいかにやめさせるか」「ゲームは悪」といった考えから、なぜゲームにハマるのかの背景を理解した上で「うまく付き合っていく」という考え方へ導いてくれるメッセージがたくさんあった。
「ゲームがあるから勉強しない」のではない、とわかった。だから、ゲームだけ取り除いても意味がない。逆に、ゲームによって人とのつながりであったり、本人が抱えている大きな不安を紛らわせているのかもしれない。我が屋の兄弟かなり当てはまると思う。
一方で、子供と日常的な会話ができる関係性にあれば問題ない、というメッセージに安心できた。ゲームが悪となってしまったら、家庭でそのことを話題にできなくなり、子供たちの行き場がなくなってしまう。毎日楽しそうにゲームの話題を話す子供たちと、共通の話題として大事にしたいと思った。
だから私は、ゲームをやってみることにした
彼らに今、ゲームが必要なものなんだと思うことができた。
まず、とやかく言っていないで、子供たちの目線を知ってみようと思った。
ゲームの苦手な母も、ついにやってみる時である。
マインクラフトに一緒に入った。ついていくだけでやっとだ。(そして、すぐに酔ってしまうので辛い・・・)
子供たちはなんとも器用に、空間を作っていく。サバイバルのノウハウも、スラスラと説明してくれる。
1人でコツコツと作ることも、マルチで一緒に遊ぶこともできる。モードも色々ある。MODやプラグインなど、拡張性も高い。
なんて自由なんだろう。
Robloxにも一緒に入った。ゲームの種類がとにかく多い。緩いものから、戦闘系まで。戦闘系、全く太刀打ちできず・・・次男が色々教えてくれ、助けてくれた。頼りになる一面が見られた。
Switchをやってみた。ポケモンなどは、できる気がしないので、最近リリースされたピクミンをやってみた。これは面白いし私にもできる。色々な仕掛けがあることのワクワク感や、段取りを考えないと進めないところなどでは頭も使う。うまくできていると感心した。
総じてわかったこと。ゲームは面白い。
ゲームが面白いとわかって変わった付き合い方
声の掛け方が変わった。
ご飯の時間、「ご飯できたよ」と声をかける。
一回の声かけで集まらない。その時は、「どこまで進んだ?」とか「どんな調子?」と声をかける。ゲームにも区切りやタイミングがあり、時間では区切れないことがよくわかったからだ。
(仕事の途中で、「はい時間!」と強制終了されるのがあり得ないのと同じ)
どうしても終われない場合、終わるタイミングを聞いてみる。「もうちょっとだね、頑張れ!」と励まして、頑張って終わらせてもらう。その方が結果的にスッキリ終われる。
本当は、体が心配だから少し休憩とかしてほしい。
だけど、それも難しいんだろうなーとよくわかる。水分も取らないで熱中している時は、ちょっと心配だよ、と声をかける。
やめろと言っているわけではなくて、心配していることが伝われば、まあ良い。
大人がゆとりがないことは、子供に影響しているのかもしれない
ところで、関先生も参加されている以下の本を読んでいて、とても気になることがあった。
ゲーム以外に楽しいことを見つける、という話のくだりで、以下のような話がありゾッとした。その通りだと思う。
今はゲーム以外に楽しいことがない。大人たちに余裕がなくて、子供達と一緒に遊べない。
大人の方に趣味がない。大人が自分が楽しいと思うことをあまりしていない。
電車でも割と年配の人がゲームをやっていて、ぼーっとしている人があまりいない。生活全体の中にある隙間がゲームで埋められてしまっている。
仮にあれこれ子供に勧めたとしても、大人が楽しめないことを、子供が楽しいと思えるのだろうか。そう思うと、大人が楽しいと思えることをすることこそ、重要な気がしてきた。
子供たちはゲームから離れていく日はくるのか?
関先生の話にもあるが、ゲームに熱中し依存していた子供がゲームから離れていくケースがあるという。我が家にそういう日が来るのか・・・正直わからない。
わからないけれども、付き合っていきたいと思う。
兄弟たちのゲームとの関係性について、ちょっと書いておきたい。
長男。
Switch -> マインクラフト -> Robloxと経てきたが、今はマインクラフトの中でもWynncraftというマインクラフトのMMORPGに夢中になっている。
多分、同世代で、かつ日本人でのプレイヤー人口は多くないが、色々情報を集めながら探求するのが楽しいらしい。
ゲーム上での交流や、Youtuberに出会うこともあるらしく嬉しい様子。
そういうところを見ると、やはりコミュニティとして大事なのだなということがよくわかる。
次男。
ずっとRobloxに夢中。
特に戦闘系にハマっていて、ワンピースやジョジョなどのアニメに関連して作られているものが好きらしい。激しいやり合いで反応がすぐに返ってくることを好むところは、やはりADHD気質にあっているところがあるのかもしれない。
また、へっぽこプレイヤーの母であっても、時々一緒にやろうと誘われる。誰かと一緒にゲームをすることも重要なんだなと思う。
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