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異文化交流的な

10年振りにゲレンデに行った。
それも幼い頃、親に連れられて毎年滑りに行っていた白馬五竜。
テクニカルを要するスポーツには、悉く惨敗してきた私が唯一「出来る」と言えるスポーツ、それがスキーだ。(とは言っても、パラレルを習得する前にスクールに参加するのは嫌になり、結果いつまで経ってもなんちゃってパラレルな万年中級者だが)

だが今回滑る板は2本ではない。1本だ。
そう、スノボだ。
30過ぎにして初挑戦。
しかも運動センスがないこの私。
(山登りとかマラソンとか、さぞ体育会系と思われている節もあるかもしれないけど(笑)あんなモノ体力と根気だけあれば何とかなる)

無謀な挑戦。その一言に尽きた。

さて、そもそも何故この歳になって
「生まれてはじめて!」
な事に立ち向かったのか。

それは、今働いている会社の同僚に誘われたから。

隠す事でもないのだけれど、私は演奏活動や音楽指導の仕事に加えて、平日の昼間はとあるメーカーの事務として働いている。
音楽の収入は安定しないので、定収入を得るためだ。
その会社の本社は台湾にあるので、従業員の半分くらいは台湾人(一部中国人も含む)だ。
学生時代から日本に来ている人もいれば、まだ来日して1〜2年の人もいる。先述の通り社内の半分は中国語圏の人なので、中国語で事足りる事もあるだろう。だが、私のように中国語がわからない日本人も半分いるという事なので、日本語のコミュニケーション力も必須だ。
個々の語彙力や会話力のレベルに差はあるが、共通して言えるのが、何とかして言葉にしようという積極性。そして、あまり隔たりを作らないフレンドリーさ。
そのフレンドリーさ故に(スノボに良く行くという台湾人同僚の言葉を受けた)「スノボやってみたいな〜」と言う私の一言から、総勢10人のスノボツアーが開催されてしまった(笑)

コロナ禍中に入社した為と、私が時短勤務という事もあり、あまりご飯に行ったり等出来なかったのもあり、仕事以外で会うのは初めての面々がほとんど。
ちなみに、私以外のメンバーは中国語で話すので、基本会話は中国語。
いちいち話に参加する為に訳して貰うのも悪いので、必要な時は発言して日本語にシフトして貰うスタンスで過ごすことに。

10人もいるから、皆んなが同じ行動を取るわけではない。リフト券付きのツアーだったが、1日だけの人もいれば2日間の人もいるし、2日目は荒天だったので、下山をゴンドラに乗る人もいれば、滑って下りる人もいる。
文字にすれば日本人でもそのくらいの別行動するだろう、と思うだろうが、日本人だとその行動一つ一つに挟まれるアレがない。

そう「空気を読む」というヤツ。

相手がどうするかは関係なく「私はこうする」がはっきりしている。そして、同じ行動をするからといって、同じタイミングに合わせる必要もない。且つ、合わせなかったとして不評を買う事もない。「あの人はそういう人」という1つの個性として捉えられる。
最初は「あの人はどこ行ったのかな?」とか、「あの人いないけど大丈夫かな」と気にしていたけれど、最終的な集合時間には集まるから問題はないというスタンス、いっそ清々しく感じてきた。

そんな中、気になっていた事を1つ聞いてみた。
「台湾人から見た日本人について」
(以下同僚は🇹🇼)

🇹🇼「日本人はハッキリと物事を言わないよね」

私「ああ、遠回しに、遠回しに言うよね」

🇹🇼「味の薄いものを食べた時に、日本人は『優しい味ですね』とか『独特な味』とか言うけど、台湾人はハッキリ『味薄い!』とか『不味い』とか言う。」

私「そうだね、日本人って本人の前では直接的な事言わないね、相手を気遣って」

🇹🇼「日本語って1つの言い回しに対して、色んな言い方があるから難しい。中国語だと『不味い』以外の言い方はないから。」

その言葉を聞いて、ふと思った。
所謂日本人の美とされる「おしとやかさ」とは、言葉の多様性から生まれたのではないだろうか。1つの事象に対して直接的だけではなく間接的、いや時には歪曲的な言い方も出来るから、そしてその方が争いが起きにくいから、直接的に言葉をぶつけ合わない人種になったのではないか。
まあ、逆も然りか。
争いを起こしたくないから言葉が増えたのか。
ニワトリが先か、タマゴが先か。

実際のところは言語学者様や文化論者様にお任せします(笑)

そう、仕事の中でも沸々と感じていた事ではあったが、彼らは日常の中で些細な言い争いをしいているように思う。時には強い口調で。
それは日本人の私からすれば「ケンカしてるのかな?」と心配になったりもするのだが、次の瞬間には何事もなかったかのように、笑い合ってたりする。
それは全て、物事を直接的に言っていただけなのではないか。
その場ではカッとなるけれど、後腐れのないコミュニティ。
やはり、清々しい。

台湾人(&中国)9人に対して、日本人私1人の人生初のスノボツアーという、とんでも旅だったが、そんな学びがあった。

さて、本来の目的のスノボだが……
1日目の数時間で、ボードの上でほぼ立ち上がれない自分に絶望し、そして、まさかの雨模様という荒天に見舞われ、早々にスキーに持ち替えた私でした。
(にしても、雨スキーは辛過ぎた。晴れ女伝説は何処に……😇)


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