人の振り見て我が振りなおせ。
こんばんは。
ナツミ(@natsumi_smile)です。
昨日「ありがたいお言葉の取扱説明書」という投稿をしました。
「ありがたいお言葉」とは、悪気なく(むしろ良かれと思って)発せられた厳しめのご指摘などのこと。
発した人は相手が良くなることを期待するポジティブな気持ちから発しているのに、受け取った側はネガティブになるような言葉。
どうせなら双方ポジティブに終わりたいから、そのために受け取る側は視点を変えてみませんか。という内容でした。
そんな思いもありつつ、一方で発する側に問題があると思っています。
今日はそちらの視点からのお話です。
学べることは何だろうと、いつも考える
「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉に良く助けられます。
イヤなことをされたり、理不尽なことをされたときに、この言葉を思い出すと気持ちが冷静になるからです。
少なくとも、自分が相手の鏡となってはいけないと思います。
そして、相手から学べることは何だろうと考えます。
イヤな思いしたんだから、なにか得て帰るぞ、ただでは起きないぞ、という感じでしょうか。
「ありがたいお言葉を発した人」をその視点で見てみると、学べることがありそうです。
相手のことを想像できているか
言われなくてもわかっているけど、なかなかできないことのひとつ。
「相手の気持ちを考えること」
自分の言葉で、相手が傷つくかもしれない。悲しい気持ちになるかもしれない。怒って、縁が切れるかもしれない。
それでも、その言葉を発しますか?
自分の「良かれと思って」の正義感に任せていないですか。
つまり自分の気持ちや価値観にフォーカスして、相手のことを見れていないのではないでしょうか。
そもそも、自分が良かれと思っているだけで、相手にとって良いかどうかは相手が決めること。
相手にとってどれくらい役に立つかもわからないのに、相手を傷つけたり悲しませるかもしれない言葉を届けるのかどうか。
相手の悲しい気持ちと天秤にかけても、自分の言葉が相手にとって良いと思うかどうか。
それなら、相手から意見を求めてくれるまで、待ってみても良いのではないか。
こんなふうに考えてみたら、次に自分が「ありがたいお言葉」を発しそうになったら、この気持ちを思い出せるはず。
学んだことは「相手のことを考えられているか」。
同じ気持ちにはさせたくないから、わたしは相手のことを思いやるぞ。と強く思えるはず。
自分のことを客観的に見られているか
相手がどう思うかを考えられていないということは、
自分がどう思われるかも考えられていないということ。
つまりその行動で自分がどういう人間に見えるのかを考えられていないということ。
客観的に見られなければ自分をコントロールできないし、そうすると自分の主観に振り回されることになる。主観に振り回されるのは自分も、見ている周りも苦しい。
客観的になれないと、柔軟な思考ができなくなって、選択肢が少なくなる。
客観的になれないと、人の話に耳を傾けられなくなる。
客観的になれないと、何かあるたび自分が被害者のような気がしてしまう・・・
と、自分を客観視できないと、いろいろとイヤなことが起こりそうです。
学んだことは「客観的視点の大切さ」。
そう思ったら、よし。わたしは客観的でいることを心がけるぞ。と考えるわけです。
悪気があってもなくても、それで損をするのは自分
結局、悪気があろうとなかろうと、人を傷つけたり悲しい思いをさせたら、損をするのは自分。
相手の信頼を失う。見ている周囲の人の信頼を失う。
人生、損得勘定だけではないですが、損はしたくないのが人でもある。
というか、自分も相手も、誰も得しない。
一時の冷静さや、自分のちょっとした我慢によって、お互い損をしなくなるなら、そっちのほうがいいですよね。
損得勘定でそのことに気付けるなら、悪くないと思います。
同じ材料を持っていても、選択は人によって違う
ひとつのことから感じることは人それぞれ。
そして、感じたことを、どう自分に活かすかも人それぞれ。
わたしが「人の振り見て我が振りなおせ」を良く思い出すのは、
決して人の粗探しをしたいわけではなくて、
自分が感じたことをプラスに転換して今後の自分に活かせるから。
わかっていても活かす気がない人もいれば、気づかない人も、少しでも活かそうとする人も、様々です。
「ありがたいお言葉」をもらった経験はきっと誰にでもあるけれど、同じような経験を持っていても、次にどんな行動をするか、どんな選択をするかは人によって違います。
そして、その選択によって、きっと人生が作られていく。
まさに、自分次第という言葉がぴったり。
自分の気持ち次第で、何からでも学べる。
そんなふうに思うと、「ありがたいお言葉」が本当にありがたく思えてくる気がします。
#ナツミnote 【Day172】
自分の声に耳を傾けることで、自分を大切にしよう。そんなnoteを、ほぼ毎日書いています。書いたのにアップし忘れて、noteが数えてくれる連続更新記録のカウントが途切れたので、「ほぼ毎日」。たまにエッセイ。
この記事が参加している募集
サポートしてくれたら泣いて喜びます。