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私的「この世で最もいい曲100選」

 X(Twitter)のタグ企画に乗って、これこそはと思う100曲をセレクトした。
 1名義1曲、グループとソロは別カウント。作曲家が被るものについては不問。迷った時には「バイオリンやピアノの独奏でも美しいと思えるか」を判断基準にした。このため、愛聴しているミュージシャンであってもここに入れられなかったものが多い。

 スタンダード中心でオールジャンルにしたため、この曲数ではまったくどうにも枠が足りず、フュージョンやテクノはリストアップしつつも切るよりほかなかった。ジャズとクラシックとその他洋楽については、オムニバスCDのようにベタなラインナップではある。
 「ベタ」と呼ばれるほどに広く、長く愛されている曲はやはり素晴らしいものばかり。クラシックを除いては50'sから現在までの選曲、いずれも何度繰り返し聴いても瑞々しさと深さを発見したり、遠い記憶が蘇ってきたりするものだ。幼少期にレコードプレイヤーから流れていた作品は、刷り込みのようで外す選択肢すらなかった。

 近年のものをピックアップするにあたり、星野源は「くだらないの中に」など、サカナクションは「ミュージック」など、ほかにもshowmoreやTENDREなどで複数候補曲があり悩んだ。あくまでも暫定で、時々入れ替えをするかもしれない。
 Mrs. GREEN APPLEはとにかくボーカルの表現力が凄まじい。新曲「ナハトムジーク」を入れようかと考えたものの、序盤13曲目にして危うくプレイリストの締めくくりになってしまうところだった。
 小野雄大「魂の夜明け」、松木美定「あなたの虜」が近作からリスト入り。小野雄大は「体温」も素晴らしくどちらを入れるか迷ったが、残念ながら「体温」はSpotifyになかった。松木美定の複雑にして懐かしい、タイムレスでずば抜けたポップセンスはここに入れるべきと考え、後半に置いた。ジャズをベースに様々な音を操りつつ耳に難解さを感じさせない、卓越した職人だと思う。

 この中でもおそらく異色にあたるのはPSY・Sの「Wondering up and down~水のマージナル~」彼らの代表作でもない古い楽曲だが、目の前に記憶にはないはずの情景が広がる日本語の歌詞とドラマチックな旋律が美しい。鈴木祥子もやはり古く、アルバムのタイトルチューンではあるが今日の有名曲ではない。「Happiness」と悩んだ。
 Pizzicato Fiveは「メッセージ・ソング」や「ハッピー・サッド」と迷って「きみみたいにきれいな女の子」を。ルッキズムと紐付けられてしまいそうなフレーズだが、この曲の女の子はバスタブにひとりぼっち。友だちと偶然会っても虚しい。こんな声を掛ける誰かは存在しないのだろう。孤独の解像度が高い歌詞に、優しい光を帯びた歌唱が乗る。音数の多くないアレンジ、タイトル部分がスネアのみになるところが秀逸。冒頭のセリフがないバージョンを入れたかったがサブスク未解禁。

 SUEMITSU &  THE SUEMITH 「Sonatine」からの木村カエラ「Butterfly」の流れはどちらも作曲家が同じため狡いといえば狡いのだが、クラシックをバックボーンにこれほどまで美しいメロディーを書く人は、末光篤を置いて他にはさだまさし以外になかなか思いつかない。そのさだまさしはどれかひとつを選ぶのが困難すぎてとりあえず外した。
 荒井由実(松任谷由実)も同じ理由で選べていない。山下達郎の楽曲がサブスクにないことから、このあたりの大御所は足並みを揃えてほぼオミットせざるを得なかった。
 ザ・キングトーンズの「夢の中で会えるでしょう」は、楽曲提供者の高野寛によるセルフカバーもこれまた素晴らしい。ここでは、内田のボーカルに当て書きしたとしか言いようのない極めてしっかりしっくりと嵌まったオリジナルバージョンで。

 The Style Councilの「My Ever Changing Moods 」は後続に多大な影響を与え、日本でも渋谷系としてざっくり括られてしまうあのあたりとその系譜にレファレンスとして用いられていることでもお馴染みの楽曲。今回はあえてしっとりとしたアルバム収録のピアノバージョンを選んだ。ただし、気分で差し替える可能性はある。
 「My Back Pages」はBob Dylanのオリジナルではなくバーズをセレクト。原曲に敬意を払った上で、よく知られるこちらのほうが単純に好みだ。

 楽曲ひいては音楽は優劣やその評価を競うものではない。それぞれが好きなように楽しめばいい。ただ、こうした企画を契機として様々な人が思いついた100曲のうちに「これ曲名知らないままだったな」「こういう曲もあるのか」という出会いがあったなら、それは大変に素敵なことと思う。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」