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誰が為に剣を振る

 花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
──小野小町 

 タイムラインが荒れていた。おばさんファンが態度悪いだとか、いやいやそれは作り話だとか(わざわざそんな作り話する意味があるのか?)、トゲだらけ。プロフィールを見て、持病や聴く音楽などに共通点がありそうな人はほぼフォローしてきたが、その基準をちょっと考え直すべきかどうか頭を悩ませた。揉め事は苦手だ。

 おばさんだの若いなどというやりとりが散見されるが、世代間を指す言葉を侮蔑的に言い合うことに正義などない。
 みないずれ老いるし、年をとらないのはそれまでに世を去った場合だけ。令和の世でもなぜエイジズムに疎いのか、と嘆きたくもなる。周回遅れがすぎる。
 そして経験上、F1層でもF2層でもF3層でも、またはM1層でもM2層でもM3層であってもやらかす人はやらかすのだから。

 荒れていた界隈ではミドルエイジ女性ファンのマナーばかりが槍玉にあがっていたが、過去の記憶を引っ張り出してくると必ずしもそうでもない。その界隈において、かつて電車内盗撮を思わせる画像で話題になったのは学生と思われる若い男性ファンだったし、地方で駅を待ち伏せして話題になったのは若い女性ファンだった。
 違う界隈で一番「厄介だな」と思ったのは、冥土の土産にと結婚を頻繁に迫る齢80を超えたご老人だったし、ミドルエイジがやらかすのをステージ側から見ていた経験もある。

 今現在ある特定の層が目立っていたとして、エイジズムを振りかざすことに何の意味があるのだろう。
 いずれのケースも、当然ながらここで改めて蒸し返すつもりはない。そうする権利など持ち合わせていない。人はみなそこそこ間違いながら生きているものだし、同じ括りに入れられる要素があろうとやらない人はやらない。


 毎日揉め事と愚痴ばかり並べることが美しいとは思わない。ただしそういう生き方をしてしまう人にも埋められないものがあったり、生きづらさがあったりするのだろうから、その存在自体を否定するのはまたよろしくない、とも思っている。

 人はいつだって流動的で、いつからだって行動を変えようとすることはできる。そう願うならば。そう願うようになるきっかけに対話があるかもしれないが、少なくともやりとりする時にいきなりキツい言葉を使ったら、コミュニケーションなんて成立しようがない。
 剣を突き出し振り回す人の前で殺されるのをただ待つ人間がどれほどいるものか。言葉を剣にするよりも、もっと効果的なやり方を覚えたほうがいい。そして、揉めているファンたちを見てご本人が喜ぶかどうかについて、静かに想像を働かせることも必要ではないかと思うのだ。勿論、勝手に代弁者になることもせずに。

 「若者に人気のミュージシャン」「中高年に人気のミュージシャン」、いずれも限定的だ。
 「国民的ミュージシャン」である人、もしくはそのような器にある人ならば、年齢の括りなどただただ重くつまらない枷にしかならないだろう。


なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」