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mind too much
特にセンセーショナルな内容もなく、ただ淡々と綴るこのnoteを通読してくださるようなお優しい方はあまりいないのではと思うが、違和感を感じた勘のいい方はもしかしたらちらほらいらっしゃるのではないかと思う。
がんサバイバーの書いているものなのに、治療の詳細には殆ど触れていない。がん、記事、とくれば事細かな流れや状況に触れているもの(しかも時系列で追えるブログなど)が多いから、変わっているかも知れないなあとは、自分でも思っている。
Twitterではそのあたりもペラペラと呟いていたけれど、noteでは意図的に触れないようにしているのだ。
このあたりのくだりは最初の方のエントリーでも少し触れたのだが、医療は日進月歩だから、実体験をしたサバイバーとはいえ、素人が書く記事は医療的な面では「書いた時には正しくても」どんどん古くなってしまう。しかも、幾ら実体験を書いているとは言え、語弊や思い違いが生じる可能性だってある。
すると、検索などからふいにここを見つけた方(いるのかな)が、うっかりそぐわない情報を目にしてしまう可能性があるのだ。
ちょっとした小さな違いや間違いが、誰かの心を不安にするかも知れない。
でもずっと過去記事をブラッシュアップしたり注釈をつけて回るほど、正直マメでもない。生活に追われて、いつしか徐々に、粗雑になってしまわないか。それを否定することはできそうにない。
情報を探す人は、大抵「当事者」か「家族」だろう。だから書くならば慎重に不確定要素を排除したいし、見知らぬ誰かに不安な思いをさせたくない。
そもそも治療も経過も人それぞれだから、誰かのそれがばっちり参考になるということはない。本当はみんな違う。
そして目に触れたら気にしてしまうのも、また人の性だろうなとも思うのだ。
考えすぎだよ、自由にやりなよ。
そういうお考えの方のほうがおそらく多いことはわかっている。実際、何をどう書くのかは自由だ。綴ることは、綴り手に恩恵をもたらすことも知っている。
神経質と言われたら、まあそうなのかも知れない。
──でもどうしたって、気になってしまう。
これもまた個性ということなのだろうか。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」