師、走れない

 公私にわたり長年のパートナーである某氏が退職する。華々しい転身や定年退職ではなく(そんな年齢では全然ない)、うつ病による雇い止めだ。
 うつ病の発症には職場の状況が関係していたため、本来ならば雇い止めできないはずではある。休職期間の満了や復帰の困難さもあり、本人が医師と相談した上で決断したようだ。

 ようだ、と書くと如何にも他人事だが、こればかりは第三者がどうのこうのと言って何とかなることでもない。折しも職場内の力学がとてつもなく変化した。
 これまでであれば、トップが直々にこうした状況にある人の環境を整えてくれていた。事情をお話させていただいた結果、実力者にお口添えもいただき、勤務に比較的無理のないセクションの新設もしていただけた。有り難いことだ。
 だがそのトップが力を失ったいま、継続することは難しくなった。有り難いから、難いへ。

 わたしは同じ職場にかつて在籍していた上につかず離れずの関わりは続いていたので、何が起きたのかは概ね理解している。長くなんだかんだ関わってきた会社といよいよ縁が切れるのも、不思議な気持ちだ。ほんの数年前まで、陰ながらも協力をしていたのに。
 勿論、ここまでのご厚意には心の底から感謝している。沢山お世話になった上、ご心配やご迷惑もお掛けしたことと思う。末永く発展していってほしいと願う。
 

 休職はのんびりできそうでなかなかそうできないもので、身体は休めても金銭的な不安や立場上の不安がつきまとう。これは多分、働けない状態にある人々の共通点だろう。
 傷病手当金やら何やらの手続きはわたしが慣れたもので──決して慣れたくはないものだが──、がん治療やその他療養の経験を活かしてすんなり行えた。

 では万々歳というわけではなく、支給額は標準報酬月額の3分の2であるし、その中からでも社会保険料は支払わなければならない。とても有り難いものだが、反面、負担額は相当に重くのしかかる。
 うつ病患者に不安を重ねさせるのはよろしくないので、金銭的な補填はこちらでしている。わたしもがんやその他の闘病を経て、身体に比較的無理のない仕事をしてきたが、その分収入も芳しくないために悩ましいところ。消耗戦だ。
 来年は今年のようには出歩けないだろう。覚悟はしていた。
 

 こうした話は、わたしのTwitter(X)タイムラインでは別に珍しくもなんともない。ありきたりの話ですらある。
 それはわたしが元々サバイバーアカウントであることによると思う。フォロワーのざっくり約2割から3割ほどは、いまこの時間も何らかの病気と闘っている人たちだ。がん患者は高い確率でうつ病を併発するため、希死念慮にさいなまれる人も少なくはない。

 特にがん患者は雇い止めが深刻で、頻繁に同様の話がタイムラインに浮かぶ。みな働きたい気持ちは充分にあるのに働けない、働かせてもらえない人たち。それでも何とか仕事を見つけては、痛みや苦しさと向き合いながら治療費を稼ぐ人たち。
 降格の話も、残念ながらよく聞く。医学的には職務をこなせる状況であってもなお、スティグマは根深い。逆に、どうしてできないのかと責められることもよくある話だ。

 健康な人と病人で比較したら、健康な人を雇いたくなる企業の気持ちはわかる。まあそうだろうと思う。障害者優先の受け入れ枠はあっても、病人枠はない。そういう風にできている。
 わたし自身、ギリギリの中で仕事をしてきた経緯がある。左半身が痛みと痺れでどうにもならなかった頃、トラムセットという超強力な、しかし副作用も強い処方薬を飲みながら仕事をこなしていた。わたしの場合は、初期だったせいもあり、がんのほうが身体的にも心情的にもつらくなかったかもしれない。
 

 師走。持ち腐れの教員免許はあるが、走る気力も起こらない。年が明けるのがめでたいのか、いまいちそのムードには乗れそうもない。何とか乗りこなしていくのだと、来年の干支イラストを眺めながら。

 久々に闘病系ブログらしい内容を書いたような気がする。こんな文章を綴っても、たまには許されるだろうか。

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なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」