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静かで、開け放たれた場所

このnoteやTwitterの同名アカウントは、とてもささやかな場所だ。
わたしにはさしたる影響力はなく、ごく限られた範囲に届くようなか細く小さな声で、誰にともなくぽつりぽつりと話している。

だから、時々見間違う。
「ここは閉じた場所なのだ」と。

noteはもとより、Twitterも鍵を掛けていないから、誰でも閲覧することができる。
ことTwitterなど、世界中の、誰であっても。
そんな場所で、「これについて書くのは大変躊躇われますが」「○○の前では決して話さないのですが」と但し書きがつくような話を、つい書いてしまいそうになる時が、稀にある。
打ち明け話の誘惑やわかって欲しいという気持ちは、誰にだって当然にあるものだろう。

わたしは実名を明かしてはいないけれど、いつその秘密が破られても別におかしくはない、ということはきちんとわかっているつもりだ。
だからこそ、誰かに知られてはならない内容には、とても気を遣う。
傷付く人の顔が想像できてしまう時には、基本的には書かない。たとえそれが内なる衝動や、正義感からであっても。

そういった意味でわたしが触れていい場所は、世界のほんのひとつまみだ。

ここは静かで、とても開け放たれた場所。
窓からは虫も小鳥も入ってくる。そして、時に強い風がカーテンを激しく揺らし、雨が吹き込むかも知れない。
それを危惧して、わたしは注意深く空の色を見る。

ちょっと検索すれば、何処までも世界にアクセスできる時代。
明日誰がここに辿り着くのかは、わからない。顔見知りや仕事の関係者が、場所の主がわたしであると知らずに、偶々辿り着くこともあるかも知れない。
その時、わたしは気持ちの良い椅子をご用意できるだろうか?

ここに置いた椅子が、座り心地のよいものでありますように。そして誰の気持ちも、きちんと守られますように。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」