昔のお母さんはもういない

母がある難病と診断されたのは私が小学生の時だった。それからゆっくりゆっくり進行し、ついには歩行器を使っても歩けなくなり、今は車椅子でしか移動できなくなってしまった。
私が高校生の頃には、自由に外へ出ることができなくなっていたため、それからというもの、6-7年間のほとんどを同じ部屋、同じベッドの上で過ごしている。
当然様子はおかしくなっていった。
だって、昔の母は元気に自由に歩けて、自転車にも乗れて、買い物にも行けて、食べたいものを作って…何もかも自分の意思で思うように行動することができていたんだもの。
そりゃ精神やら何から何まで変になってしまうのも無理はない。
ある時から、母は支離滅裂なことを言うことが増えた。
そして、感情も不安定になっていった。
最近は、構ってほしいのかなんなのかよくわからない時に泣く。もちろん転ぶかもしれないなどの時も泣く。
そして、妄想なのか意味のわからないことを言い出した時も泣き喚く。
まるで子供がぐずってるように。
平日は訪問看護の人やらが来てくれるし、たまにショートステイも行くけど、健康的な普通の環境で普通の人と関わる機会がないのだから脳が少しやられてしまったんだろうと思う。
外界から閉ざされた環境でずっと過ごしているから。
1番辛いのは母だけど、それを介護してる父も辛いだろう。休まる時がほとんどないんだもの。
そして、別人のようになってしまった母や、変わってしまった父と母の関係を見ていて嫌気がさす時がある。
母の姉も、母の母も同じ難病で亡くなった。
母には兄もいるけど、その兄の消息は不明だ。
母にとって、母の幼少期に深く関わっていた人はもうどこにも存在しない。
母のこれまでの生い立ちや、今の現状を考えるととても不憫に思う。
けれど、私はどんどん悪化していく母を小学生から見ていて年々離れたいという思いが強くなっていく。そして将来後悔すると思う。絶対に後悔すると思う。
あんなに大好きだった母を、今でも大好きだけれど、どこか冷めた目で見てしまう。
そんな風に思う自分が嫌だから距離を置きたい。
もう、慣れ親しんだみんなが元気な私の家族はどこにもない。消えてしまった。
お兄ちゃんが、家を出て行ってそれから滅多に帰ってこないのはそういうことなのかもしれない。
私はなんだかんだ家族が大好きだけれど、どこか重荷に感じる時がある。

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