「若者のすべて」がラジオから流れたあの夜は特別な空気をまとっていた
フジファブリックの「若者のすべて」が高校用の音楽の教科書に掲載されるというニュースを見た。
私は高校時代に一番音楽を聴いていて、CDショップに足しげく通い、好きなアーティストのCDを揃えて登下校もCDプレーヤーが欠かせなかった高校生だったのだけど、今ではほとんど聴かなくなってしまった。
いやしかし、CDで音楽を聴くという文化や、ポータブルCDプレーヤーの存在、ほんの20年程度しか経っていないのに様変わりしすぎじゃないか? というかいま10数年って打とうとしたのによく考えたらどちらかといえば20年前だった。自分の年齢にも時間の感覚にも驚きと恐怖を感じる。
音楽関連の記憶を書くのも楽しそうだな、と今思ったけれど、今回の本題は冒頭の「若者のすべて」についてなので、また今度。書くことが次々に出てくるというのはとても嬉しいことだ。
めっきり音楽に疎くなって、たまにCMや偶然かけた番組で流れているのを耳にする程度になった私は、フジファブリックというアーティストも名前だけはかろうじて聞いたことがあるくらいだった。今も、「若者のすべて」以外の曲は知らない。聞けば分かる曲はあるのだろうけど。
この「若者のすべて」という曲を、私は去年息子を生んだ病院の授乳サロンで聴いた。その病院は基本的に母子同室で、赤ちゃんの各種お世話は母親がすべて行うのだが、授乳サロンという部屋があって24時間そこを利用することができた。
サロンには大体の時間助産師さんがいてくれて、おむつ替えや着替えの行える場所と授乳を行う場所があった。慣れないおむつ替えや授乳に手間取っていると、助産師さんがアドバイスをしてくれたので、とても助かった。
生まれたての赤ちゃんというのは寝てるか泣いてるかおっぱいを飲んでいるかのどれかで、それらがとても早いサイクルで回る。たとえ赤ちゃんがぐっすり寝ていたとしても、授乳は3時間以上開かないようにと言われてもいた。
今でこそセルフで胸元をあけてごくごくおっぱいを飲み、ごろんと寝る息子だが、当時は母子ともに不慣れで、一度の授乳にえらく時間がかかった。授乳を始める前に乳輪周りをほぐしつつ搾乳する必要があり、これに15分くらいかかって、その後左右10分ずつ授乳して、最後に搾乳した母乳や足りない分のミルクを与えて、さらに大体授乳の前におしっこのおむつを交換するのに授乳中に今度はうんちをしていてまた交換、ということになったりして、トータルであっという間に1時間くらい経つ。
寝た息子をコットに乗せて、痛む腹を押さえながらゆっくり病室に戻って、静かに身体を横たえて、すぐに眠れればまだよいが、うとうとし出した時に息子が泣き出したりしてまた起き上がる。そして授乳サロンに向かうのだ。
睡眠は完全に後回し状態だったが、私は授乳サロンに行くのが好きだった。だんだん慣れてくると、サロンに来ているお母さんや助産師さんと話して盛り上がることもあったし、「ではまた後で~」と帰って行った人がまもなくまたやって来て「おかえりなさーい」と笑い合うこともあった。各々が静かに授乳しているときに赤ちゃんがブッとおならをして、あらあらかわいいみたいな穏やかな空気になることもあった。
そのサロンには一台のラジカセが置かれていて、昼も夜もラジオが流れていた。ある夜、珍しく貸切状態のサロンで授乳していたとき、ラジオから聴こえてきたのが「若者のすべて」だった。確かに真夏のピークが去った9月のことだったから、時期的にかかりやすかったのかもしれない。私はその曲もアーティストも知らなかったので、ただぼんやりとおっぱいを飲む息子を見たり、時計を眺めたりしながら流し聴いていた。入院していた1週間で何度か聴いたような気がする。
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
そのフレーズとメロディがやけに心に余韻を残した。特に「最後の花火に今年もなったな」の部分は、その違和感のある「今年も」の位置が胸の奥を引っ張るようだった。
退院してからもなんとなく口ずさんでしまって、あれこの歌なんだっけ? と考えて、授乳サロンで流れていた歌だ、と気づいた。覚えている部分で検索をして、曲名とアーティスト名、すべての歌詞を知った。
それから1年が経とうとしていて、私はまたこの曲のことを忘れていたのだけど、たまたま見かけたニュースの見出しにあった「若者のすべて」という曲名をきっかけに、あの夜の授乳サロンの空気が覆いかぶさるように蘇ってきた。
小さな我が子、かわいくて華奢で、でも確かな重みがある。私がこれから守っていく命。うれしくて不安で、その場が居心地がよくて、退院するのが怖くて。そんな感情の渦が身体の奥で絶えず蠢いているのに、その場はただただ穏やかで和やかで。あの曲は、そんなすべての空気をまとったまま、1年後の私のもとに帰って来たように思えた。
せっかくだから、久々に音楽を聴いて、歌詞を心に留めよう。そうしたら「今年も」の位置の理由も分かるのかもしれない。彼らの音楽のファンがすでに通って行った道を、私もこれから歩いてみよう。穏やかに、和やかに。