見出し画像

謝ってほしいわけじゃない。

怒りやイライラをいかにコントロールできたらいいか、1日1回は頭をよぎらせる私です。

ふと読んだ岸田さんのこのnote。「怒り」についての紐解き方が、私にとってはもう圧巻でした。


文中、『怒りとは、魂だ』という表現をされていましたが、それにもとても共感します。そして特に心に残ったのがこのフレーズ。

「謝ってくれてありがとう」ではなく「わたしの大切にしている気持ちを本当にわかってくれて、ありがとう」と言えたとき、ようやく人は人を許せる。

怒っている人は、相手を傷つけたくて、貶めたくて、怒っているのではない。傷ついた魂の正体を知りたくて、そして、自分では言葉にしづらいそれをとにかく受け止めてほしくて、怒っている。


怒りや謝罪について私も思うところがあり、この岸田さんのnoteに対してnote感想文のタグをつけて綴っていきます。

ちなみにツイートした家庭内のケンカですが、謝ってほしいわけじゃなく、かと言って謝ってくれないのもそれはそれで納得がいかなく、、、本当にもやもやしていたところだったんですよね。とても的を射た表現を見つけることができてこれからは怒りの感情を減らしたりうまく伝えたりしていけそうです。

怒りは、顧客との認識相違や上司部下の間でのコミュニケーションミス、社内社外・大小様々なことがきっかけで生まれる感情ですよね。私自身もクレーム対応で謝罪をしたこと、逆に期待外れや悲しい気持ちに感じたことを"怒り"として伝えたこと、どちらの経験もあります。
今回のnoteで怒りの正体について理解が深まったことで、今ならどちらの場面でももっと違った対応ができそうだなと感じました。

たとえば私が謝る時。
何に対して怒っているかはこれまでも気にしてきましたし、怒りたくて怒っているわけではないとも分かっているつもりでした。ただ、大事にしていた相手の“それ”に対して本当に向き合い切れていたか、大事にしていたんですねと心の底から思えていたかというと、自信がありません。
謝るときに、まずはそのことについて触れること。「大事にしていたんですね、そこを本当に分かろうとしてなかったです」と心を込めて伝えること、これから絶対にしていきます。

逆に私が怒っている側の時。
何に怒っているか、どうしてほしかったのかを伝えるようにはしていましたが、まだまだ足りなかったなと。「何を」、「どんな風に」受け止めてほしいかをこれから自分でもっと伝えていくことで、自分の感情の整理にもなりますし整理しながら実は怒りが落ち着いちゃうこともあるかもしれないなと思いました。
タイトルにもした、「謝ってほしいわけじゃない」というフレーズ、私自身がよく使うのですが、「そう言われても...じゃあどうしたらいいの」と相手。こういう会話にしかならないんですよね。それは分かっている。私からどうしてほしいかを言えればいいのに、まさに“自分では言葉にしづらいそれをとにかく受け止めてほしくて、怒っている。”これなんです。そのままそっくりセリフとして相手に伝えてもいいかもしれません。


怒りとは、魂である。こだわりや想い、背景、信念、ゆずれないポイントは人によってそれぞれ。それを「価値観が違う」と相容れないときに怒りや悲しみという表現で相手に伝えるとき、その伝え方が少しでも上手になったら、もう少しやわらかいやり取りになったり、建設的な対話になったりするのかなと感じます。謝ってほしいわけじゃなく、そういう”魂のやり取り”をしたいんだと思う。

それを知れた私は「私の魂」とも、もう少し上手にやり取りできるようになっていく気がします。喜怒哀楽。このそれぞれの感情表現、感情理解にもっと向き合ってもう少しうまく付き合えるように。中でも特に「怒」は、パワーが大きいしヘタしたらもう今後一切関係がなくなるというリスクもあるものだと思うので。


今回、気づきをくださった岸田さんに感謝です。ありがとうございました。
本日は以上です。
Twitterでも毎日コミュニケーション中です^^


この記事が参加している募集

note感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?