【再掲】出会い、つながり、繰り返す──フレデリックとの2年間を振り返る

※この記事は2022年3月末でサービスを終了したrockin’on.com「音楽文」へ2021年5月に投稿したものを再掲しています。


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人生を変える音楽との出会いは、いつだって想定外だ。

愛するアーティストのうちの一組、フレデリックと出会ってからもうすぐ2年が経とうとしている。好きでいることについて考えた結果をどうにか形にしたいと思い、少し過去を振り返ることにした。

2019年5月。社会人1年目の私は、頼まれた仕事に向かうため社用車を走らせていた。車内はラジオが流れている。80.4MHz、北海道ではお馴染みのAIR-G'だ。
一人での外勤、しかもペーパードライバーで車の運転にすら慣れていない。そのラジオを聴く余裕などなかった。はずだった。

〈リピートして リピートステップして〉
〈何度だって イヤフォンの中に潜む悪魔が 袖をひっぱって「まだ遊び足りない」って〉

少し癖のある甘い歌声。小気味良いリズムとメロディー。「リピート」という言葉が繰り返される歌詞。
それまで聞き流されていた音が、急に立ち止まり、こちらを向いた。


聴き入っていた。その時間だけは、仕事のことを忘れていた。
アーティストも曲名も知らない、初めて聴く曲に、こんなにも惹かれることはこれまでになかった。聴き入りながら、少し混乱していた。しかし、この曲の名前を、アーティストの名前を、聴き逃すわけにはいかない。


「お送りしたのは、フレデリックで『リリリピート』でした」
「フレデリック」の「リリリピート」。運転しながら、忘れないように頭の中で何度もその言葉を繰り返した。目的地に到着してすぐ、スマホのメモに書き残した。


帰宅して、すぐに調べた。その曲とはすぐに再会することができた。しかしサブスクリプションとは便利なもので、目的の曲に辿り着いたと思えば、同じアーティストの他の曲もおすすめに上がってくる。

〈天国だって地獄だって楽園はここにあったんだ〉-TOGENKYO/フレデリック
〈踊ってない夜が気に入らないよ〉-オドループ/フレデリック

寄り道をすれば、気になる曲に次々と出会ってしまう。これは良いアーティストに出会ってしまったかもしれない。


次の出会いは2019年8月、RISING SUN ROCK FESTIVALだった。
北海道在住の私は、以前から応援していた別の好きなアーティストがライジングに出演すると聞き、初めて行くことを決めた。今までロックフェスに行ったのはたったの1回という、邦ロックというものにほとんど縁のない人生であった。そのライジングの同じ日に、フレデリックも出演することが決まった。


一緒に行く友人に、フレデリックも観よう!と話していた。しかし、タイムテーブルを見て愕然とした。スタートが夜中の1時半。オールナイトのフェスであることは知っていたが、初めてで何も分からない状態の私たちは、朝まで過ごす予定ではなかった。


やっぱりフレデリックは諦めようか、と話しながら迎えた当日。初めてのライジングは思っていた以上に楽しくて、幸せで、もちろん目当てのアーティストも最高で。帰りたくなくなってしまった。
このまま帰るのはもったいない。友人に頼んで、結局朝までいることになった。その選択は大正解だった。


こんなにも賑やかで高揚する夜は初めてだった。そして、フレデリックの演奏を初めて観た。
知っていた曲も初めて聴く曲も、踊って歌っている自分がいた。
うねるような客席の盛り上がりと一体感、「夜」にふさわしい選曲、新曲をラストに持ってくるという強気の姿勢、表現力豊かな演奏。すべてに引き込まれた。帰らなくて良かった。
ライジングの余韻は醒めぬまま、好きな曲がまた増えていった。


フレデリックの楽曲を語る上で必ず出てくるのが「中毒性」という言葉。一度聴けば耳から離れない、繰り返される歌詞やメロディーといった楽曲そのものが持つ中毒性の高さ。

しかし、フレデリックの真の中毒性は、音源とライブの両輪にある。


音源の場合、ヴォーカルも楽器も良い意味で機械的な緻密さがある。リズムに乗りやすく、踊りやすく、繰り返し聴かれることに特化した音。
一方でライブの場合、生音だからできるエモーショナルな演奏、一つの曲が続いているかのような曲間のつなぎ、そしてライブだけのアレンジ。それも「お決まり」のものを続けるのではなく、会場や状況によって日々変化していく。
そうして演奏される楽曲たちは、さながら生き物のようだ。


同じ曲なのに見える世界が変わる。フレデリックの楽曲には、パラレルワールドが存在する。
音源は音源で、ライブはライブで、それぞれの良さを最大限生かした状態で届けられる音楽。その両方から発せられる中毒性が身体に回れば、もう後には戻れない。

ライジングが終わってから、フレデリックの公式やメンバーのSNSをフォローしていたものの、11月の札幌でのワンマンライブは迷った結果観に行かず、それからは少し離れていた。
年が明け、2020年の2月を越えたあたりから疫病の影が近づいてきた。2月下旬以降、私が行く予定だったライブはすべて中止になった。
初めて中止の発表を見たときから、私の時計は止まってしまった。


最初の混乱が落ち着いた頃から、多くのアーティストがインターネットを通じて音楽を届けてくれた。フレデリックも過去のライブ映像をYouTubeで公開したり、既存の楽曲を用いて新しいアプローチをしたりと面白い企画を行っており、家にいる時間が増えたことで少しずつ見るようになった。


そんな中、フレデリックがオンラインフェスに出演することを知った。何やら、アコースティック編成で演奏するらしい。他の好きなアーティストも出演するということもあり、チケットを購入した。

普段のバンドとはまた違う、一つ一つの音・歌詞・表現がより引き立つ演奏だった。フレデリックと出会ったきっかけの「リリリピート」も演奏された。初めて聴いて引き込まれた曲もあった。1年前に観たフレデリックとは違う一面に出会い、もっと知りたくなった。

配信が終わって、再び曲を聴き始めた。


8月、オンラインフェスも終わり、ライジングが行われるはずだった日にはテレビで特番が放送された。2019年の、フレデリックのライブ映像もあった。
それからすぐに、全国ツアーの申込開始の情報をSNSで目にした。北海道、札幌が初日だった。


その頃、他のアーティストも少しずつ有観客でのライブを再開し始めていた。
しかし、まずは東京や周辺の首都圏。その次は大阪、名古屋。当たり前の話であるが、アーティストの移動が少なく、この状況でも集客が見込める大都市で行われるものばかりだった。東京から飛行機を使ったり海を越えたりする移動が必要な地域が、スケジュールに並ぶことはほとんどなかった。

大都市でできなければ地方でできるわけがない──地方に住む人間として本気でそう思っていたから、ライブが再開できるというだけで嬉しかった。しかし、私はそこに行けない。嬉しいはずなのに悔しい。2月で止まった時計はまだ、動かない。

そんな中で、フレデリックが札幌に来る。今、来てくれるということが何よりも嬉しかった。バンドのワンマンライブは初めてだった。勝手が分からない。でも、行かない理由はなかった。


ライブに行くと決めてから、さらに曲を聴き込むようになった。新しいEP「ASOVIVA」も手に入れ、単独での配信ライブも観た。聴けば聴くほど、観れば観るほど、フレデリックの虜になっていった。


そして迎えた10月10日、Zepp Sapporo。8カ月ぶりのライブだった。
リハーサルの微かな音漏れも、グッズの購入も、開場までの待ち時間も、会場に入った瞬間の高揚も、すべてが愛おしい。
そうだった、ライブそのものだけではなくて、前後の時間やライブに関係するあらゆる行動を含めて、私は「ライブ」を愛していたんだ。

〈例えあなたの時計止まってもまた会えると信じて止まらないから〉
〈今この日をこの瞬間を待ち望んでいた〉
1曲目の「シンクロック」。溢れる涙とともに、止まっていた時計が動いた。
画面越しじゃない。目の前に音がある。ずっと待っていたのは、この瞬間だった。


ライブが終わって数週間、数カ月が経っても、心地良い余韻が残っている。何度も思い出し、反芻し、何度も心が満たされた。

札幌でのライブの少し前、翌年2月に初の日本武道館公演が行われることを知った。「行けたら行きたい」という気持ちで申し込んだが、ライブを経て「絶対行きたい」に変わった。
ファンクラブにも入会した。私にとっても初めての武道館だ。見届けられたら、きっと生涯の思い出になるだろう。


年末から、感染状況が悪化していった。年末のフェスや年明けのファンクラブツアーの中止が決まった。
しかし、フレデリックは動き続けた。フェスのセットリストを再現する配信、無観客でのファンクラブ限定ライブの開催。中止の決断もギリギリまで話し合われ、予定をただ消してしまうのではなく、別の方法で楽しめるものを提供してくれた。その決断に至った経緯や想いをきちんと伝えてくれて、少ない日数の中でメンバーもスタッフも最善を尽くすために動いてくれていることに、強い誠意と計り知れない覚悟を感じた。

もし武道館が予定通り開催できなくなったとしても、きっと大丈夫だろう。実際に開催できないとなればもちろん悔しいだろうし、何が大丈夫なのかは自分でも分からないけど、大丈夫。
このバンドには、きっと絶望させられない。
そう信じるようになった。


2月上旬、武道館公演の開催と配信での生中継が決まった。開催されるなら行く、と決めていたが、当日まで不安に押しつぶされそうになっていた。でも、諦めてしまえば一生後悔する。諦められなかった。


2月23日、公演当日。家を出てから、何度も手を洗い、何度も消毒し、移動と会場にいる時間以外はホテルに引きこもり、誰とも会話をせず、ずっと一人でいた。東京は行きたい場所も食べたいものも本当にたくさんある。けど、今日の目的を達成するためには、やれることはすべてやる。日本の中心の遊び場で遊び尽くすために。


冒頭のMCで、Vo./Gt.の健司さんから「思い出」というワードが出てきた。武道館は、思い出が呼び起こされやすい場所なのだそうだ。確かにこれから先、武道館に行ったらきっと今日のことを思い出すのだろう。
そんなことを考えていたら、フレデリックと出会ったきっかけの曲、「リリリピート」が演奏された。生で観るのは初めてだった。あの日から今日までに観た景色、感じたこと、すべてが蘇った。「リリリピート」は、私の中で本当に大切な一曲になっていた。イントロが始まった瞬間、小さな悲鳴を上げてしまったことだけ、許してほしい。

この2年間、フレデリックと私の関係は「出会いの繰り返し」だった。あの日カーラジオから聞こえてきた曲に心惹かれてから、さまざまな機会に、さまざまな方法で、私の世界はフレデリズムに彩られた。何度も出会い、つながるほどに魅力は増し、離れられなくなっていた。
これまでに経たものが一つでも欠けていたら、今の私はなかった。振り返れば、絶えず「音楽で遊ぶ」ことを続けてきたフレデリックがいた。


日本武道館公演の最後、初めて披露された新曲「名悪役」。
〈思い出にされるくらいなら二度とあなたに歌わないよ〉
その歌い出しに、雷に打たれたような衝撃が走った。
この日のために決死の思いで東京に来て、大団円というところまで来た今、愛するバンドから、宣戦布告をされたのだ。
「俺らの音楽と生半可な気持ちで向き合うんだったら、楽しみはもうあげないよ」
そう言われているようだった。


たった1年と少しの間で、状況は変わった。価値観は変わり続けている。
何が大切なのか、優先されるべきかを決められようとしている。でも、大切なものとそうでないものは人によって異なって、線引きが曖昧になる。曖昧になって、面倒になって、じゃあもう全部反対だ、と誰かが言う。毎日に小さな喜びを見つけることも、先の楽しみのために生きようと思う気持ちも、こんな状況なのに無神経だ、なんて。

そうして話を終わらせてしまったら、何がエンターテイメントだ。


ルールは守る。守らなければ、まずスタートラインに立てない。
決められたルールの中で遊びきる。どんな状況にあっても、常に楽しいと思うものを見つけ、やれることをやる。好奇心と覚悟の両方が据わったフレデリックの「遊び」は、話を終わらせない。だって今、目の前で証明している。


仕事もプライベートも関係ない。自分の行動次第で、楽しみを見つけることはいくらでもできる。アンテナを張り、新しい世界に踏み込む。目の前のものを、もっと面白くしてみせる。
そのヒントをくれるフレデリックと、私は全力で向き合いたい。やってやろうじゃないか。


〈まだ見ぬノンフィクションを脳に浮かべてその台本を置いた〉
覚悟は決まった。フレデリックの音楽で、人生を遊び尽くす。


あの場で「名悪役」を聴いたことは、公演から2カ月以上経った今でも心の支えとなっている。「名悪役」以降のフレデリックは、ただ楽しませてくれる、辛いときに癒しをくれるだけの存在ではなく、向き合わなければならない現実に向き合わせ、自分を奮い立たせる存在となった。


あの日からずっと、私の名悪役はフレデリック、彼ら自身だ。


名悪役たちからの宣戦布告を、どうやって遊んで返していこうか。毎日ワクワクさせられて、驚かされっぱなしで、今のところ勝てる気がしない。とは言いつつ、彼らの掌の上で転がされるのも本望なのかもしれない。


私にできるのは、フレデリックから貰った音楽体験やそこから生まれた感情をこうして文字にして形にすることと、音楽を全力で楽しむことくらいだ。それしかできないが、それができるから、今が楽しくて、幸せだ。いくらでも遊び続けられる。


今日までの大切な思い出は〈全部背負ったまま〉、明日は〈思い出を超える〉フレデリックにまた出会う。

そろそろ時間だ。お気に入りのイヤフォンを身に付けて、再生ボタンをタップした。