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鉄条網とアリダ・ヴァリとウクライナのひまわり

鉄条網の設置が完了しました。鉄条網といえば、あまりに負のイメージが強くて避けたかったのですが止むを得ません。ただ、これから周りにはマンゴーやバナナ、ライムなどを植え、つる性の植物も植えてゆくので、いずれはあまり気にならなくなるでしょう。

鉄条網は1kg$1で、102kg購入しました。
南側と東側の一部はかなり低くなっているので、下部にレンガを積みました。雨期に土が流れてしまうからです。
西側の道路は雨期には水がたまるので、やはり土入れをしなければなりません。当初予算を容赦なくジャンジャン超えてゆきます(~_~;)
丸太の樹種ですが、いろいろ混ざっているけど、これは黒檀だそうです。えっ!そんな高級材で柵作ってるって、ビックリしません?
右端がカオン。その左側はカオンのお姉さんの家の向かいのチァーさん(40歳)、その左が東隣のジョクさん(50歳)、その左がカオンの義兄ネッさん(50歳)、背中向きが北隣のドゥーさん(40歳)。多分年齢はいい加減だと思う。

昼ごはん一緒に食べる?と誘われましたが、”食卓”を見て遠慮しました。今日は特別にビールがついていましたが、おかずは、大人の手のひら大の魚が2匹のみ。それを唐辛子いっぱいの激辛調味料につけて食べます。あとでMEVIUSを2本差し入れました(吸うのは2人だけ)。

ジョクさんのオクサン。20歳になる息子さんがいて、現在韓国語の勉強中だとか。聞いてみると、近々韓国へ出稼ぎに行くそう。なぜ韓国?と問うまでもなく、日本より韓国の方が待遇がいいからです。

日本政府は、“異次元の少子化対策”もともかく″異次元の外国人労働者対策″に早急に取り組まない限り、″憧れの日本へ働きに″行きたい若者の心を引き留めることはかなわないでしょう。

さて、ここからがタイトルの所以です。ま、若い人にはちんぷんかんぷんの話なのでスルーしてください。

「鉄条網」という言葉を聞いて、私がすぐにイメージしたのはある映画のラストシーンでした。

それは1961年制作の『かくも長き不在』というフランス映画で、マルグリッド・デュラス脚本、アリダ・ヴァリ主演です。

ゲシュタポに連行されて生死不明の夫を待ち続けるテレーズ(アリダ・ヴァリ)のもとに、夫によく似た″浮浪者″が現れるのですが、彼は記憶を失っていて、夫だと信じるテレーズは、彼の記憶を呼び戻そうと様々な接触を試みます。結局記憶が戻ることはないのですが、映画のラスト前のシーンで、去ってゆく″浮浪者″の背に、テレーズが「アルベール・ラングロワ!」と夫の名を叫びます。すると″浮浪者″は立ち止まり、おずおずと両手を上げてゆくのです。その直後に(収容所の)鉄条網の壁がフラッシュバックされ、″浮浪者″は道路に飛び出してトラックにはねられてしまいます。ただ、彼は死んだわけではなく、どこかへ行ってしまうのですが、テレーズが「冬を待ちましょう」(寒くなれば戻ってくる)とつぶやいて映画は終わります。

いつ、どこで観たのか定かでないのですが、少なくとも40年以上前。超特別にこの映画に思い入れがあったわけではないのに、なぜか鉄条網のワンショットと、アリダ・ヴァリが夫の名を呼ぶシーンが強烈な印象をもって記憶に残っていたのです。それが、今回鉄条網を見て呼び覚まされました。

それで、YouTubeで探してみたら、ありましたっ!アリダ・ヴァリが叫ぶシーンです。

アリダ・ヴァリといえば、1949年制作、キャロル・リード監督の不朽の名作『第三の男』がありますね。あのラストシーンはバックに流れるアントン・カラスのツィター演奏も含めてあまりに有名ですが、この時のアリダ・ヴァリは28歳。『かくも長き不在』の撮影時は40歳です。

で、この『かくも長き不在』とよく似たテーマの映画が1970年制作、ビットリオ・デ・シーカ監督、イタリア映画『ひまわり』です。これは比較的新しいので、ご覧になった方も多いかと思われます。

第2次世界大戦中、対ソ戦線に送られた夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)の生存を信じて、ウクライナ(当時はソ連領)まで探しに行くジョバンナ(ソフィア・ローレン)は夫と再会するが、夫にはすでに新しい家族があり、彼女は絶望して帰国します。その後にアントニオがジョバンナを訪ねますが、その時には彼女にもまた新しい家族があり、アントニオは決意してミラノ駅からモスクワ行きの列車に乗りこみます。かつて出征兵士を見送った同じホームで、2度と会うことのないアントニオを見送るジョバンナの涙に、ヘンリー・マンシーニの哀切なメロディーが重なって、映画はラストを迎えます。

私も今回初めて知ったのですが、あの地平線を覆いつくす有名なひまわり畑の映像はウクライナで撮影されたものであり、あのひまわり畑の下には、ソ連、ドイツ、イタリアなどから応召された若者たちの屍が無数に眠っているそうです。あのマンシーニの哀切なメロディは、斃れた若者たちへの鎮魂の曲であるという解説も読みました。

映画が作られてからでもすでに50年。あろうことか、ウクライナでは今再び多くの命が失われつつあります。今もこの先も、何人ものテレーズとジョバンナを産み出してゆくのです。

あのひまわり畑は今も当時のままに残っているのだろうか?(私事をいうならば、幾度となく訪れた中国″満州″のとうもろこし畑を思い出します。)あの切ないほどに美しい風景が再び若者たちの血で染められることのないように、一日も早く速く戦争が終わりますように。


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