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祖母とわたしと、エンゼルメイク 2

実際に祖母にエンゼルメイクを行なったときの感覚は、よく覚えています。

とても客観的に、冷静にメイクをした記憶があります。

寝たきりで外に出ることもなかったので、
肌は日焼けもしておらず、損傷もなくキレイでした。

ただ、ハリがなく真っ白だったので
チーク(頬紅)を多めに乗せました。
筆をすべらせてつけると肌を傷つけるかもしれないから、
そっと置くように付けていく。

祖母の顔を思い出してどんな頬の色をしていたのか、
記憶を頼りに色を作って乗せました。

口紅も普段は塗っていなかったから、
あんまり真っ赤な色だと恥ずかしがるだろうから、ちょっとだけ。
ほんのりと、のせる。

ふと、手の甲を見ると、点滴の跡が残っていました。
すでに白装束だったので、手の甲は半分隠れていましたが
祖母が気にするといけない、と思ってファンデーションでカバーをしました。

コミュニケーションが取れないから、
祖母のことを思い出してどうメイクすれば祖母が喜ぶか想像して、
これまでの知識と技術をすべて総動員して、
全神経を集中させて、心を込めて、メイクをしました。


メイクをし終えて祖母がお棺に入った後、
たくさんの人たちがお別れを言いに祖母に近寄ってきました。

まずは、母を含む、祖母の娘たち。
のぞき込んで出てきた言葉は、

「あれ...母さん、良い顔してらごと。」
(あれ...母さん、良い顔してるじゃないの)

「んまー笑ってるみたいでねが。」
(んまー笑ってるみたいじゃない?)


近所に住む親戚たちが祖母の顔を見て言ったのは、

「あいー姉さんかぶりになってだ。
 かあさん、花嫁さんみてだな。」
(あらー姉さんかぶりみたいになってる。
 かあさん、花嫁さんみたいだね。)

※頭を覆っていた布が、「姉さんかぶり」という
手ぬぐいのかぶり方に似て見えていたみたいです。祖母はよくこのかぶり方をしていました。

「まずーキレイだこと」
(すごくキレイだね)

亡くなった方とのお別れを言いにきているのになぜか、皆さん笑顔でした。

涙を流しながら、にこにこと祖母の顔を見ては微笑んでいました。


 * * * * *


祖母はなくなるまでの数年、寝たきりだった上に認知症が進んでいて、
母や叔母の顔を見ても誰か分からなかったそうです。

隔週で、叔母と交代しながら施設に通っていた母は、
「おばあちゃんの顔見に行くのは良いんだけど
 話しても分からないおばあちゃんとずっと一緒にいて
 夕方になって薄暗くなってくると気持ちがふさいできてしまうの」
と、言っていました。

穏やかに亡くなっていったもののやはり看取る側は、
「もっと何かできたんじゃないか」と思ってしまって
青白く動かなくなった祖母の顔を見て
最期のお別れをするのは勇気がいったそうです。


「あんたがメイクしてくれたおかげで
 人間らしい祖母の顔が見られたし、
 私たちも出来ることはやったから
 おばあちゃんともきちんとお別れをすることができたよ。
 あんたの仕事は良い仕事だね」

祖母が亡くなって数ヶ月たってから母から言われました。

 * * * * *

祖母がお棺に入っている姿は、白装束ではなく、
白無垢の姉さんかぶりをした花嫁さんみたいでした。

亡くなった方は、数十日かけて極楽浄土まで歩いて行くそうです。
たぶん、祖母の歩いて行く道の先には祖父がいて、
待ってたよ、と手を振っているのではないでしょうか。

いつものように祖母は、祖父の左側にぴったりと寄り添って
二人で歩いて行くのだと思います。

空にのぼって行く煙を見ながら、
祖母は2回目の嫁入りをしたんだな、と思いました。

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