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祖母とわたしと、エンゼルメイク 1

メイクを習っていた時の宿題に
「お母さんか、おばあちゃんにメイクをする」が、ありました。

母は、わたしが初めてメイクを習い始めた頃から
練習台になってくれていたので問題なくクリア。
でも祖母には、メイクさせて、と言わないうちに養成コースが終わりました。


遠いから、とか
気恥ずかしいし、とか
思わずに、やらせてもらえれば良かった。
と、今でも思ってます。

正しくは、メイクさせてもらうことは出来たんですが、

それは、祖母が亡くなった時でした。

 * * * * *

エンゼルメイクってご存知ですか?
亡くなった方に施す、いわゆる死化粧です。
エンバーミング、と言う場合もあります。

エンゼルメイク(もしくはエンゼルケア)は、
ご家族などのお別れのために
ご遺体を綺麗にする目的で行われています。

エンバーミングは、海外の発祥で
亡くなられた人がご家族とお別れするまでに
長い距離を移動しなければいけなかったり
ご遺体の損傷があった場合に
腐敗を防ぎ、損傷を修復する技術を言います。

(戦争で亡くなられた兵士が
 家族とお別れするまでにご遺体の状態を保つために
 発達したと言われています。)

もちろん、専門に行うためには資格も必要です。

 * * * * *

わたしの祖母は、糖尿病で寝たきりでした。

数年間ずっと病院や介護施設を行き来して、
ゆっくりと亡くなっていきました。

そんな祖母が、お棺に入るときに
どうしても、最後の化粧はわたしがしたい、と思って
納棺師の方にお話をして
何かあった時にはケアしてもらえるように
お願いをしてからやらせていただきました。

なので、今回の話は
メイクアップアーティストとしての話ではなく
個人的な思い出話として書いてます。

* * * * *

家から近いこともあって、昔からよく母の実家に預けられて育ちました。
夏休みまるごと、母の実家にいたこともありました。

最寄りのコンビニまで車で何十分もかかる田舎で
家の裏山で虫を取ったり
3時になると祖母がおやつを作ってくれたり。

今回は祖母の話なんですが、
その前にまず祖父の話をさせてください。

(大事なので!)

母方の祖父は、わたしが物心ついたときから
脳梗塞のために左半身が不自由でした。

歩くのに杖が必要で、言葉も不自由だったので
いつも祖父の左側には、祖母がぴったりと寄り添っていました。

ご飯を食べるときも、歩くときも、
常に祖父の左側には祖母がいました。

祖父は、昭和の人にしてはめずらしくすらりと長身で、
服装も三つ揃いのスーツに中折れ帽をいつもかぶっていた、
母いわくイケメンだったそうです。

物腰が柔らかくて、めったに怒らないけど
怒るときはものすごく怖かった、と聞きました。

わたしが小学校の頃、
夏休みに通知表をもって自慢げに見せにいくと、
「んなったて、おお、おお」
と言って、言葉は聞き取れなかったけど
満面の笑顔をしてくれて、
最後はいつも握手をしてくれました。

子供なりに、思いっきり力を込めて握り返すと、
あいたたた~!と言うそぶりをしてから
また笑顔でうんうん、とうなづいてくれてました。

知的な祖父と会話が出来なかったことは、
今でもとても残念です。

 * * * * *

わたしが駆けつけたとき、
すでに祖母は亡くなっていました。

顔がふくふくと丸くて
つやつやだった祖母の肌は、
冷たい白さで床に向かってたるんでいました。

でもどこか私は実感がなくて
具合が悪くて寝ている人を
見ているかのような感覚でした。

 * * * * *

「祖母の最期の化粧はわたしがする。」

と決めたものの、
具体的にどうすればいいか分からなかったので
エンゼルメイクを行なったことがある
知り合いのメイク講師の方へ
電話で聞いてみることにしました。

すると、まずは心を込めて
哀悼の気持ちを示してくれた後で、
こう教えてくれました。

「亡くなった方はね、
 お肌に血が通っていないから、
 赤みがないの。
 だから血色が良く見えるように、メイクするんだよ...」

文字にすると、なんてことない言葉なんですが
この時初めて、激しく涙が出ました。

祖母が亡くなったことを知ったときよりも
もっともっと、身をもって、
あぁ、祖母は亡くなったんだな、と
感じました。

普段メイクをするときは、
皮膚の下には血が流れていて、
体温で温められるとファンデーションが
伸びやすくなることを想定してメイクをしています。

でもそのことを考えずにメイクをしていい。
「生きていることを想定しなくていいメイク」は
初めてでした。

化粧崩れを気にしなくてもいいんです。

その感覚に、ショックを受けました。

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