愛に応える
この夏、私は35歳になった。
誕生日を迎える少し前に、2つ年下の男友達に「もう・・・おばさんじゃん・・・」と言われて一瞬きょとんとし、その次に、傷ついているのがばれないように笑いながら相手の足を軽く蹴飛ばし、
「はあ?じゃあてめぇもう一生年上の女と寝るなよ?!」と悪態をついた。心の中で。
また別の友人たちは言う。
「年齢を気にするなんて馬鹿みたいだよ」と。
わかってる。そんなことはわかっている。
年齢なんて気にせずいきいきと生きている人が魅力的だなんてことはわかり切っている。
それでも私は思った。
「ああ、35歳になってしまった」と。
35歳。
私にとっては何か一つ、境目となる歳だった。
実は母がこの年齢で亡くなったんです。とかそんなストーリーがあったらまだ格好つくのだけど(母は元気です。すみません)
四捨五入したら40だし(年齢を四捨五入する考え方は馬鹿馬鹿しいでしょうか)、
35というキリのいい数字は何かと、女性の人生における分岐点の目安として用いられやすい。
【35歳以上の未婚女性の成婚率は3%】とか、(いや、3%って、、、ほんとかいな)
【35歳以上の初産を「高齢出産」と呼ぶ】とか、
【35歳以降は年々卵子が劣化する】とか。
怖いから、直視するのを避けてきたけれど、
今これを書くために改めて調べてみたら、やっぱり胸がヒヤリ、ズキリ。とした。
いつかの私は他人事だと思っていた事実が、今まさに私の現実なのだ。
でも一番は、
「まあ最悪、35には結婚できるでしょ。大丈夫大丈夫!」
と、
そんなキリのいい数字を使って母を安心させてきたから。だろう。
35歳未婚、子どもナシ。
いかにも毒舌エッセイのネタになりそうな肩書きだ。
***
家族の話をしようと思う。
私の家族は、とてもいい家族だ。
自分がこじらせている原因を、家族に求められたら幾分対処法もわかりやすかったかもしれないけれど、私は、私の家族をとても誇りに思っている。
別に仲良し家族!というわけでもない。基本的には1年に1度、お正月ぐらいにしか集まらないし、両親の還暦祝いで久しぶりの家族旅行に行った際には、「はい、では1時間後、この門の前に集合です。各々楽しむように。解散!」と父が号令を出すほどさっぱりしているが、そのさっぱり感がまた面白いし私達らしい。
旅行で自由行動をしても、1年に1度しか会わなくてもいいのは、お互いへの信頼があるからだと思う。
父も母も、私のやることに反対したことがない。
宝塚受験をすると言い出したときも、東京に出て演劇の学校に行くと言い出したときも、アフリカに行くと言ったときも、インドに行くと言ったときも。
こんなに自由すぎる私の生き方を一切否定せず、でも金銭的な援助だけはしてくれたりして、なんて恵まれているんだろうと思う。
30歳を目前にして周りが「親が結婚結婚うるさい」とぼやいているときも、たしか私はほとんどプレッシャーを受けていなかった。
それは、私の両親が「結婚が全てではないよ」という、年代の割に前衛的な考えの持ち主だから、というよりは、いい歳の娘にプレッシャーを与えまいと心得ていたからだろう。
心の奥では「できたら結婚して欲しいな」と思っているだろう事が、本当に時たま母の口から出る「いい人いないの・・・?」という言葉から伺えて、
その感じが、「結婚結婚うるさいよ!」と反抗なんて出来ないぐらい遠慮がちだから逆に、心配かけて悪いな、と罪悪感を感じてしまったりする。
親のために結婚するなんて馬鹿馬鹿しいよね、なんて思いながら、「35歳」を目前にした私は、やっぱり焦っていた。
焦って、自分の人生をどうにか格好のつくものにしなくてはと、肩書きや知名度を求めたりした。
慣れないツイッターを始めて、インフルエンサーとやらの言葉をいちいち真に受け、自分の言葉を発せているのかよく分からなくなった。
正社員として働く傍ら自分の夢を追いかける日々。スケジュールは常にびっしりで充実していたけれど、会社にすっぴんで行くことが増えていた。すっぴんのくせに吹出物が後を絶たず、お洒落をするのもなんだか億劫になっていた。ふとショーウィンドウに映った自分が死ぬほどダサい格好をしていて、どうか知り合いに会いませんように。と祈った。
焦って、好きかどうかよく分からない男と寝て、好きかどうかよく分からなかった割には心を持っていかれてしまって、でもやっぱり選ばれなくて、ボロボロに傷ついたりもした。
そして、そんなことを何度か繰り返してしまった。
焦っている女ほど怖いものはない。焦っている女を選ぶ男なんていない。
自分がそういう女であることを下手に客観視できてしまって、自分が痛々しくて、余計に女性としての自信を失っていった。
あるとき気づいたら、部屋の観葉植物が枯れていた。4年間大事に育てていたツピタンサス。
白樺みたいになったその幹を見て、無性に悲しくなった。
ごめん。
誰も悪くない。私を傷つけようとした人なんていない。
私と関係を持った男性達でさえ、私を傷つけてやろうだなんて思っていたわけじゃないのを知っている。
大切にされるべき私を、私だけが大切に出来ていなかった。
あの両親が、大切に育ててくれた私を。
両親に愛されているからこそ、自分を愛せないなんてこと、あるだろうか。
それこそ、馬鹿みたいな話だ。
35歳を迎える頃、なかなかボロボロになっていた私は、もういい加減諦められる気がしていた。
諦める?
違う。
自分を大切にしようと、もういい加減にそうしようと、決意することが出来たのかもしれない。
私は両親の愛に応えたくて、皆をあっと言わせるすごい仕事をしたいとか、皆が納得する素敵な人と結婚したいとか、多くのものを手に入れようとしすぎていたんだと思う。
その結果、両親を悲しませるような自分の扱い方をしてしまった。
本当にばかだ。
***
35歳になって1ヶ月ちょっと。
相変わらず仕事は中途半端だし、いい人もいない。
けれどこの間、大好きな友人達と軽井沢にキャンプに行って、夜遅くまでケラケラ笑いながら他愛もない話をして、
帰ってきた翌日にはダンスのレッスンに行って、踊ることがやっぱり楽しくて楽しくて、
あれ?わたし今、めちゃくちゃ幸せじゃない?
と気づいてしまった。
幸せは探すものじゃなくて気づくものだ、なんてよくある言葉だけれど、
その幸せは、自分が頭で考えていたものでも、両親の希望にばっちり合っているものでもないけれど、
これでいいんじゃないかなあ、と、思った。
自分を幸せにする方法は、自分が思っていたよりも地味で、あっけないものだったのかもしれない。
でもきっと、もしこれを私の大切な家族が読んだとしたら、少しだけ安心させることが出来るんじゃないかな、なんて思うのだ。
愛に応えよう。
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お読みいただきありがとうございます。
私は元々、年齢を聞かれれば「永遠の20歳です」とか言うタイプの人間でした。
冒頭でいきなり「35歳」と書くことも、本名で男性関係のことを書くことも、とても勇気がいることでしたが、この文章を書けたのは「コルクラボ」というコミュニティの仲間達のおかげである部分がとても大きいです。
裏話をすればこの文章は、コルクラボが現在制作中の本のマーケティング用に、「私、ちょっと無理してた!」というテーマで書いて欲しいと制作チームから頼まれて書き始めたものです。
コルクラボは編集者の佐渡島庸平さん率いる所謂オンラインサロンなのですが、「心の安定のためには複数のコミュニティに所属するのが良いのだろう」と軽い気持ちで所属してみたところ、思った以上に今私の大切な居場所になっています。
なぜ「居場所」だと感じられるか、言語化がなかなか難しいし、そもそも私自身はっきり理由が分かっているわけではありません。
ただ、とにかく優しい。
どれだけ本当の自分をさらけ出しても、ネガティブな発言をしても、そこには受け止めてくれる人達がいるし、「本当の自分」を探求することを皆が楽しんでいます。
それは偶然、とても優しい人ばかりが集まったからなのか?というときっとそうではなく、年齢も職業もまるで違う大人達が集まって真剣に、(でも楽しみながら、)家庭でも会社でもない「第3の居場所づくり」に取り組んでいるからだと思います。
私は元来、自分が主役でないと気に入らないタイプで、誰にでも出来そうな雑務を振られると「何で私が?」と思ってしまうような人間だったのですが、
コルクラボに入って、この人達のために、何かしたいな。と、そんな風に思えるようになっていきました。
そんな「居場所」があることで、私は少しずつ、今まで認められなかったかっこ悪い自分、ダメな自分を認められるようになってきたんだと思います。
コルクラボが現在作っているのは、そんな「居場所」に関する本です。
「いつもちょっと無理している人」が、「自分のために生きることを思い出す場所との繋がり方」を見つけられるような本。
別に、コルクラボに入りましょう。オンラインサロン最高!と言いたいわけじゃないです。
生きるのがちょっとツライと思った時、「自分」を変える事ばかりを考えてしまいがちですが、案外「居場所」を変えるだけで楽になったりすることもあるよ。じゃあ「居場所」って、何だろうね?
そんなことを探求できる本になると思います。
よかったら、手にとって頂きたいですし、制作費をクラウドファンディングで募っているので、ご協力いただけたら幸いです。(このnoteを公開する時点ですでに目標額は達成しているのですが、資金が多ければ多いほど、多くの方に届ける手段を増やすことが出来ると思います。)
後書きまで長々と読んでいただき、ありがとうございました。
それから、コルクラボのメンバーの皆、ラボ本プロジェクトの皆、私に素敵な居場所と、この文章を書く機会を与えてくれて、ありがとう。
コルクラボの本のクラウドファンディングページ↓↓
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