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私がBowspringと出逢うまでの物語①私とニコル編🇺🇸

初めましての方も
そうでない方もこんにちは!
BowspringインストラクターのNatsukoです。

音声で聞きたい方はこちら💁‍♀️
👂

先日Bowspringに出逢った日の事を綴りましたが、
それまでの紆余曲折を知りたい!と
ありがたい事にお声をいただいたので
どこまで続くのかまだ自分でも分かりませんが
綴っていこうと思います。


1984年8月茨城県土浦市にて生まれます。
父はめっちゃ仕事できたらしい営業マン。
母はバリバリの看護師。
そんな2人の第一子でした。

私が生まれた後、母は退職。

私が3歳、
父が30歳という人生の節目に
故郷である広島に戻り、家業を継ぎます。
その後弟も生まれます。

今思えば…
母はきっと慣れない土地でしんどかったと思います。
父も慣れない仕事で、これまでの親子関係とは違う
仕事上での祖父との親子関係がしんどかったようです。

私は母から
「私はこんなとこに来るはずじゃなかった」
「私はこんなとこにいる人間じゃない」
とよく聞かされていました。
そのため、
「私もいつかこの田舎を出るんだ!」と強く思っていました。

保育園に入ると
「なんか周りの子と私は違う」
と感じはじめました。
そんな中で、
私も母と同じように
「きっと私の居場所はここではない、キラキラした場所があるはず」
と感じていました。

「いつか脱出してやる!」と強く思いながら
心の中では周りを見下し、周りに合わせたり、
世間的ないい子ちゃんを演じるようになります。
それが、
写真のような捻くれた感じになるのかもしれません。

その後、小学校に入学。
私は地元の子達よりも、
外国人のお友達のニコルとばかり
遊んでいました。
それが当時はとても楽しかったです。

3年生か4年生の春休み
母国に帰ってしまったニコルの家に
母と2人でニューヨークへ行きます。
初めての海外旅行。

見るもの全て私の理想の世界!
「ここだー」と思いました。
英語と日本語で通じてないはずなのに、
ニコルと遊び倒しました。

ニューヨークのヤオハン
あの時飲んだアップルジュースの味
辛かったけど癖になったシナモン味のガム
びっくりするほど大きいピザ
全部甘い炭酸
お手伝いさんが教えてくれた
「グラシアス」というスペイン語。
ニコルのばあちゃんが
ピンヒールにミニスカートを履いてるカッコ良さ
セントラルパーク、自由の女神や貿易センタービル…

もう全てが素晴らしい👏

この時往復で乗った飛行機✈️
それがノースウエスト航空。
この時のCAさんがカッコ良すぎて!
私は絶対CAになるんだと決めます。

飛行機から降りるときに
その時のCAさんに
「私必ずここに戻ってくるから、一緒に働かせて」と言ったら
「待ってるわ」と言ってくれたのも
カッコよすぎでした。
私が英語を喋ったのかどうかはわかりませんが
なんの抵抗もなく話しかけてました。

帰国後の私は
行くべき場所は見つけたので
あとは少しずつ脱出計画を実行するのみです。

まずは、かなりひんしゅくを買いましたが💦
地元から出るために
1人私立の中学校へ進学します。
ここは英語に特化した中学でもありました。
まずは第1ステージクリアです。

続きはまた次回。
またご感想をいただけるととても励みになります。

それでは!





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