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明日に甘えず、今日と向き合う

3月のある日。
お友だちのお母様が他界したことを知った。
わたしの母の誕生日だった。

世界中に数え切れないほどたくさんのお母さんがいて、一人は元気に歳を取り、一人はその人生の幕を閉じた。もちろん面識もつながりもない二人だけれど、わたしはとても不思議な縁を感じた。

「わたしのお母さんも、いつかわたしを残していなくなってしまうのかな」
普段は考えないようにしていることを、考えずにはいられなかった。

その日は朝からバタバタと用事を片付けて、外出して、夕方に帰宅して、仕事をして、家のことをして…
「お誕生日おめでとう」と母にLINEをしたのは21時過ぎだった。
「遅くなってしまったから、また電話するね」と伝えた。母からはスタンプだけが返ってきた。

次の日も、1日はあっという間に過ぎてしまった。「あ、今日も電話するの忘れた…」と気がついた頃には、もう夜遅い時間になっていた。

「明日こそ電話しよう」

そうして結局母に電話をかけたのは、週末になってしまった。
お互いの近況とか、明日の予定とか、他愛もない話を15分ほどして電話を切った。今年の夏もまた遊びに行けるかな。そろそろこっちに遊びに来たら?そんな話もした。

母は北海道の田舎に住んでいる。年に一度か二度、会いに行ければいいほう。母は仕事も趣味も忙しく、こちらに遊びに来ることは簡単ではない。コロナ禍になってからは会えない月日が続き、ここ数年は二年に一度のペースだった。

元気な母と、あと何回会えるんだろう。漠然と考える。これからも年に一度会えたとして、あと30年元気に生きてくれたとして、30回しか会えないことになる。たったの30回。

幼い頃は朝から晩までずっと一緒に過ごして、身のまわりのことをなんでもしてくれて、育ててくれたお母さん。一緒に住んでいるときは当たり前のように毎日顔を合わせるから、30回会うのなんて、たった1ヶ月のこと。
今では一年に一度しか会えていない。
お互いの人生の選択の結果、今はこうして離れてしまっているけれど、もっとも関係が近くて深い親子の距離が遠くなってしまうのは、とてもさみしい。

今日は3月11日。当たり前のように迎える新しい朝は、当たり前ではないことを思い出させてくれる日。

「明日電話しよう」「明日こそ…」
その明日が変わらず来る保証なんてどこにもないのに、わたしたちはいろいろなことを簡単に先延ばしにする。たとえ過去に後悔するような出来事があったとしても、簡単に忘れてしまうものだ。
「きっと大丈夫だろう」という根拠のない楽観的な自信は、時に救いにもなるから、一概に悪いとは言えないのだけれど。

今日できないことを明日に先延ばしするのではなくて、明日できることを今日に前倒しする。そんな意識で、明日に甘えず、二度とない今日という日に向き合っていけたらいいなと思う。

Camera : Leica M10
Lense : Summicron f2/50mm

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