見出し画像

アツギの広告炎上事件に対して、いち女子大学院生が考えること


あの広告事件に関して、色々もやもやが拭えなかったので、吐き出してすっきりするために書いた。駄文です。

最初に断っておくが私はフェミニストでもないしミソジニストでもない。
おそらく普通の理系女子大学院生だ。

ただ女として人間として、自由でありたいとは思う。
服が好きだ。なりたい自分になれた瞬間が好きだ。誰にも自分の好きな服を批判される筋合いはないし、誰かの好きな服を批判もできない。許されるのはせいぜい、『嫌い』という感情表現。

こんなの二十数年しか生きてないわたしにもなんとなくわかってるんだよ。
私の感情ひとつに動かされる社会なんてどこにもない。

だからこそ、フェミの皮かぶったあなた達もいい加減気付け。
貴方が何を好きだろうが嫌いだろうが、そんなこと知ったこっちゃない。心底どうでもいい。迫害しようとも思わないし口を出す権利があるとも思わない。貴方も自由でありたいなら、私はそれを応援する。

一企業がタイツを使って男に媚びるようなPRを打った。許せない。
貴方が男に媚びるような表現が嫌いでも、それをしてはいけない理由にはならない。貴方の気持ちが尊重されるべきものだと思える、信じられる環境が羨ましい。今まで色んな人にさぞ可愛がってきてもらえたことだろう。
ていうかなんなら私もタイツのPRで別にパンツ見えそうな女の子なんか見たくなかったよ。
でもそれに対して擁護しようと思うのは、私には、いや誰にもそれを禁止できる理由がないから。

公共の場にはふさわしくなかった?
でも媚びたような表現だって、一つの『美』の在り方じゃないの?

女の子が一番可愛いのは好きな男の子の前だったりするし、憧れの女性の前だったりもする。ひたむきに夢に向かって勉強してる時。なんなら胸強調した服着てる時だって、自慢の脚を強調してる時だって、可愛いと思う。

私があの広告に対して好きだな、と思う点があるとすれば、そんな色んな『可愛い』を描いてたところだ。

私が社会に求めてるのは、私にとっての『可愛い』『綺麗』の承認なんかじゃない。そんなのどうだっていい。
せめて色んな『可愛い』があることを許して欲しい。

そしてそれは、きっと『可愛い』女の子を描いた広告を掲載停止に追い込むことで成し遂げられることではない。

これが私のあの広告とそれを巡る意見だったりに対して考えたことです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?