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黎明

年、明けましたね。あけましておめでとうございます。

この一文を書いた後に、そういえば去年はどんな書き出しだったかな、と読み直してみたら全く同じことを書いていた。静かな部屋に私の嘆息だけが聞こえる。1年で人はそう変わらないし、来年も再来年も同じことを書いている気がする。


大晦日の夕方、近所の公園を散歩した。
日課、というには少し疎かになっていた行為を、心の内で誰も聞かない言い訳をしながら再開した。少し日を空けるだけで、家に出るまでのハードルが50cmくらい上がる。一旦出てしまえばなんてことはないのだが。

通り過ぎる人々の背中に小さな羽が生えていた。それはなんだか頼りなげで、おもちゃみたいで、とても愛らしかった。
どうやらその羽がパタパタと動いて、人々の足取りを軽くしているようだった。
子供からは未来に対する無邪気な憧れと希望を、大人からはそれぞれ抱えていた荷物を一旦おろそう、という静かな意志を感じた。
羽が生えていない人も、たまにいた。羽が生えていない人は、羽が生えている人を一瞬だけ視界に入れて風景として捉えたあと、足早に過ぎ去っていった。

公園には落ち葉の絨毯が広がっていた。ふかふかとして気持ちがいいのに、踏むとパリパリと乾いた音がするので不思議な気持ちになる。その音が妙に心地良いので、歩いているついでに軽く蹴ってみた。
水分がすっかり抜けた落ち葉は、想像していたよりもずっと高く舞った。そのまま自然の摂理を無視して、パタパタと羽ばたいてしまうような気さえした。

刹那的な落ち葉の羽ばたきを見て、あの美しい落ち葉たちは、人々が落としていった羽の抜け殻なのではないかとふと思った。あの羽は、うっかりすると落としてしまう、とても脆いものだ。この時期にだけ、花開くようにそっと羽が生えるのは、きっと年末年始にしか使えない魔法か、幻なのだろう。

そこまで気持ち良く考えて、なんだかそれはものすごく烏滸がましい考えだと唐突に思った。いつだって美しい姿を見せてくれる自然を、安易な思いつきで台無しにしてしまったように思えた。

少しだけ、しょんぼりとした。しょんぼりとして下を向いた。
落ち葉。それも沢山の落ち葉の控えめで慎ましい美しさが、私の視界を埋め尽くす。それまでのやや縮こまっていた気持ちが空高く羽ばたいていく。自然は偉大である。



新年は呆気なく訪れた。本を読んでいたら日付が変わっていた。
私たちは毎日、新しい一日、新しい朝を生きている。それが覆ることはない。次の日に過去が来ることはない。いつでも真新しい一日がやってくる。それは年末年始でも変わらないはずだった。しかしどうしてかな、新年は浮足が立つ。私にも羽が生えているのかもしれない。

次の日の朝、テレビの特番を惰性で観る。時間を持て余している。贅沢で、ちょっぴり寂しくて、幸せな時間だった。


その後、千葉に行って約10年ぶりに従兄弟の家族と会った。従兄弟は幼かった頃の面影を残しつつ、とても大きくなっていた。
「大きくなったね」と声をかけた時、私も10年分歳をとったのだという当たり前の事実に静かに驚いた。
皆、歳をとった。そしてこれからも歳をとる。私たちがこうして集まれるのもあと何回か。そう気づいて、親戚になかなか会えずにいたことを悔いた。今、この時間があることの幸運をしっかり噛み締めよう。そう決意して流し込んだハイボールは格別に美味かった。私たちは今、幸福の最中にいる。


それからあっという間に数日が経ち、数週間が経った。街ゆく人の背中には、もう羽は生えていなかった。テレビの特番も終わってしまった。我々は短い夢から醒めたのだった。
一年が始まる。



もう新年早々、どっと疲れが押し寄せてくるような出来事があった。こんなことに体力を消耗するのは勿体無いなと心底感じた。
ただでさえ少ない体力と、容量の少ない脳みそしか持ち合わせていない人間なのだから、余計にそう思ってしまうのかもしれない。

怒ることがこんなに体力を使う事だということを久しく忘れていた。そして私の体力がiPhone7のバッテリー並みに消耗が早いということも。はよ機種変しろ。

何かに怒る前に、そういう物事や人から距離を取ることがずっと大事だと思っていた。それが賢い生き方だと思っていた。場合によっては、その方が良いんだと思う。
でも、怒らないという選択をすることで削られる何かがある。消耗というより喪失かもしれない。そしてその喪失は、今後の人生を左右するものだったりする。瘡蓋にならずにずっと膿み続けて、もう治らない傷を作ってしまうことだってある。
そういう傷は愛せないので、何も失いたくないので、自分の感情を尊重しようと思う。

とか偉そうなことを言いつつ、結局苦い思い出も時が経てば良い塩梅に角が取れて、適度な距離感で向き合えると思っている(というより思いたい)ので変に力まなくていいのかなと。こういうお気楽精神が今の人生の結果なんですが大丈夫そうですか?ん?

なんにせよ、全てがハッピーエンドで終わるなんてことはきっとない。今までも、そして恐らくこれからも。その度に荒れ狂う日本海の如く、心は色んな箇所を破壊しながら不安定になるのだと思う。
でも、だからこそ、身に降りかかってきた幸運を実際より幸せに感じることができたり、凪の状態を心の底から有り難いと思えるはずだ。向上心は皆無だけど、そういう人間でありたいなとは思う。

結びはいらない。日記ってそういうものだから。コース料理じゃなくてホテルの朝食バイキングだから。
今年もよろしくお願いします。

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