遺書No.768 防犯登録の新しい形。
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2006.8.14
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墨田区の警察は、
盗難チャリかどうかの点検が多すぎる!!
こんばんわ、みーくんです。
俺は毎日の出勤時に、
チャリンコを使ってる訳なんですけどね?
乗っている時間や距離にしたら
本当にほんのちょっとだと言うのにね?
ちょこっとチャリンコ扱いでるだけでね?
すぐ声かけられる訳なんですよ。
『ちょっとだけいいかな~(・∀・)ニヤニヤ』
て、何のキャッチだよ!!
勿論善良な俺はね、
いちいち止まって確認させるけどね?
それにしても確認される頻度が多すぎる!
仕事帰りとかの時間帯がちょうどタイミング悪いのかも知れんが、
先日なんて一日で3回も止められたさ!!
さすがにマジでムカツイたね・・・。
『いま確認したばかりじゃん(-益-メ) 』
とか言いたくもなりますよ。
しかもあれって確認するのにさ、
いちいち無線で問い合わせるから、
アホみたいに時間かかんのょね。
急いで帰りたい時なんかマジでイライラする訳。
しかも、おそらく警官の方もね、
そのタイムラグが与える不快感は承知なので、
間を埋める為にも下手に話かけてくんだよね。
実はそれがまた俺を苛立たせる。
『家はこの辺に住んでるのかな?』
(何でおまえに教えなあかんのじゃ!)
『バイトの帰りか何かかな?』
(私服のせいかもだが、「仕事」と言わずにいきなりバイトって失礼だべが!!)
だから俺は、
止められた時はいつも無線確認を始まる前に、
先にこちらから、
防犯登録の証明書と免許証を見せる訳。
・・・全くもって腹立たしい。
てゆかね、ここからが本題なんだけど。
このご時世にね、
あんなレトロな確認方式にしてる方が、
そもそも絶対おかしいと思わん!?
今時、携帯でだって、
バーコードが読み込める時代だぜ?
ついでにアメリカの農務省なんか、
全米規模で家畜個体識別システムを導入しようとしてる時代なんだぜ!?
家畜個体識別システムってのは、
番号付きのマイクロチップを埋め込む事で、
即座にデータベースとリンクさせるってやつ。
そりゃBSE問題だの何だのがあるから、
病原菌を持った動物や発病した動物を追跡出来るようにするって事で、
需要や用途の目的としてのスケールは随分違うよ?
でも、それくらい社会に応用されてる技術なんだよっ!?
別に高額投資が必要なマイクロチップとまでいかんでも、
現存のバーコード技術を導入するだけで、
そこから得られる管理能力の向上と犯罪対策の効果は想像に難くない。
小売店のレジで商品のバーコードを読み取り、
前もって入力された価格での支払、在庫記録の更新、購入商品の割引クーポンの発行、そして売上レシートに商品を記入するように、
数え切れないほどの可能性が提供されるはずだ。
・・・何が言いたいのかってーと、
防犯登録は警視庁管轄の独占コードなんだから、
防犯シールを機械で読み取れるヤツにしちゃえばいいじゃんって話だよ!!
そんな技術はとっくにあるんだからさ。
そうすれば無線でいちいち問い合わせんでも、
バーコードリーダーを携帯するだけで、
チャリンコ止めてもすぐその場で持ち主とかの情報分かるじゃん?
そしたら運転者に名前言ってもらえば、
その場で即すぐ済む話なんだよ。
『ちょっと失礼しますね、【ピっ】、持ち主のお名前だけいいですか?』
・・・ものの30秒で済む話だ。
そもそも『窃盗罪』という立派な犯罪に対する投資な訳だから、
守るべき市民に要らぬ不快感を頻繁に与えている事実や、
確認作業に割く警官の業務時間や手間といった対価を考えたら、
そのバーコードシールと読み取り機の開発に要する投資なんて安いモンだろ。
こんなにウザい程のチェキを繰り返す暇があったら、さっさと開発して導入しろっ!!
・・・まぁ普段から自転車に乗らん人や、
ここまでチェキの厳しくな地域の人には、
この不快感も分からないだろうけれど・・・。
でもね?
今回は警官による自転車の防犯登録の話だけど、
今回に限った話じゃないんだよね。
世間、特に行政とか公の仕事になる程さ、
素晴らしい開発と発展が進むテックの恩恵を、
まるで得ようとしていないというかね。
便利な技術がどんどん生まれてるのに、
公の仕事ほどそれらを活用しようとしないんだ
行政が紙とハンコの処理で無駄な時間と税金を浪費してる事が信じられん程に腹立つんだよ!!!
こんなのね、あと数年もしたら何それバカなのッ⁉︎
と次世代に笑われる事してるに決まってんだ。
何の恥も感じずに自覚なく過ごしてるけどね。
俺も含めて多くの人はさ。
今日はひたすら愚痴をこぼしてみました。
でもねでもねでもね?
皆さんだってそう思いませんか?
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。