イクメンが侮辱語認定される日。
イクメンという言葉が示す、時代錯誤な文化と感覚、そして言われて感じる何とも言えない焦燥感や侮辱感。
以前にもこの投稿の後半で書いたのですが、おかしな社会背景があるからこそ罷り通る、おかしな評価。
現在も、家事や育児への参加を当たり前のものとして生活している男性には、イクメンと呼ばれる事は嫌味や皮肉だと感じる方も多いと思います。
もちろん、イクメンという単語が登場した当初は、イケメンに擬えて育児に積極的な男性を良い意味で表す言葉だった訳だけど、そもそもの前提が、家事育児は女性がするものという(今となっては)悪しき慣習を背景にしたモノだった点について、異論を挟む余地はないように思います。
「逃げ恥」は良質な社会風刺
そこで思い出すのは、例えば数年前にブームとなった「逃げ恥」で使われた「好きの搾取」といったワード。
とてもキャッチーだけど、コミカルな作風の中で描かれた強烈な社会風刺だったと思うし、男性として肩身が狭い想いを覚えると同時に、痛快な気持ちがありました。
また、その価値観のズレ、今の置かれた社会観をやんわりと世間に提示した上で、不器用ながらも「共同経営者」という考え方でその溝を乗り越えようとする男性の姿の描写は、感覚的に理解しにくい男性(変化を受け入れにくい男性社会)に対してロジカルに課題を解決する方法論を示したという意味でも、社会の意識改革に大いに貢献した(と同時に優しく皮肉った)素敵な作品だったなと個人的に感じています。
フラットな夫婦の在り方
もちろん、各家庭や個人の環境や適性によって最適な役割分担は様々な形があっていいと思うけど、男性の家庭進出は、それらの在り方や選択肢の1つとして社会常識になっていかないといけないと思います。
そして、イクメンと呼ばれる男性像が父親としてのスタンダードな姿になってこそ、初めて夫婦の多様な関係性や在り方をフラットに選べるようになるんじゃないかな、と思う。
ただ、決してイクメンと呼ばれる人が悪い訳じゃなくて、本来は標準的な感覚であるべき事をイクメンと呼ぶ社会が好ましくないという意味で、早くイクメンという言葉が早く死語となり、イクメンと言われることが侮辱語(恥ずかしいと感じる社会)になって欲しいなーと思ったりします。
そうすれば、淡々とこなしている人がイクメンと呼ばれてしまったり、言われて複雑な気持ちを味わう事もなくなるかなと思うので。
そんな日が、早くきて欲しいなぁ、という愚痴でした。