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子どもに求めすぎ問題。

親としての自分の振る舞いについて、何度もぶち当たる壁。

何度も考える機会に遭遇しては、その度に何らかの仮の答えを経由して、でもまたしばらく経つとぶち当たる、、そんな「我が子にどこまで自主自立(自律)を促してよいか問題」。

というと立派な話というか難しい話になってくるけど、今回のは、愚痴みたいなモノです。

子どもにどこまで求めていいの?っていう。
特に今回は「約束」について。

前提として、「関係的にNoと言えない子どもを相手に一方的に通知したモノを約束と呼ぶ」事には注意が必要だと思うし、それは踏まえた上で。

約束を守らせたい気持ち。

ボクとしては、我が子に対して、
事前に話し合って決めたルールや決まり事、約束に関しては、守られない場合は有耶無耶にせず話する機会を設けるようにしていた。

約束を守らない=裏切られた場合には、黙って流さずに、守られなかった約束を指摘したり自覚の有無を確認したりしていた。
(これ、良くないのかな?)

嘘ついたり誤魔化したりする場合は、叱ることも辞さない。

ただ、破った事そのものを叱るというより、それで傷付いた相手の気持ちを伝えるとか、それがどんな影響をもたらすのかの部分を伝えたいの。

だから、別に「約束したからには何があっても必ずしも守れ」と守らない場合の全てを頭ごなしに怒るとか禁止する意図はなくて。

もし理由があるなら、「今こうだからこうしていい?」とか約束に関わる相手に伝えるとか、忘れてたり破ってしまった場合は、謝るとか、相手がいること、安易に約束を破ることは相手を傷つける事にもなること、を教えたいの。

約束を守ることや、守られない場合は事前に理由を伝える事や、後からなら説明する事などの大切さを伝えたいと思っているの。

でも、そもそも子どもにそれを伝える能力がまず自分に乏しくて哀しい…orz

という愚痴ですね…。


親だって自分の気持ち優先してよい。

あと、意図は分かるけど厳しすぎとか、細かすぎると妻によく言われていた。

自覚して申し訳ないなと凄く思うのだけど、勘違いしてはいけないかなと思ってるのは、子どもが約束を破ってやるべきことをやらない、例えば自分で出来るのに片付けや着替えから逃げたり誤魔化したりしてやらないといった場合は、代わりにやってあげるのではなく、時には怒ったっていいと思うの。

例え親だって、我儘というか自分の気持ちを優先したい事があっていいと思うし、伝えていいと思うんですよね。

「パパ(ママ)だって大変なの!全部はやってあげられないの!出来ることはやって欲しい!そしたらパパ(ママ)も助かる!」

とか。

こっちだって人間なんだし、1人の個なんだから、たとえ相手が我が子であっても、自分の都合を主張しても良くない?我慢して自分が背負い込まなくても良くない?と思ってる。

肝心なのは嫌いで冷たくしてる訳じゃない、余裕が無くて八つ当たりしてる訳じゃない、といった部分を、単純にこれだけは誤解されることないように気をつけたら良いのかなと。

出来ることをやらない(出来ないではない)事は、やるように言ってもよくない?もちろん促す時だけじゃなくて、出来てる時にはそこを褒めるとか感謝を伝えるとか、一方だけにならないよにしてれば良くない?と。

それはそれ、で、引きずることなく、終わる前や、寝る前や、送り出す前に、ありがとう、いってらっしゃい、頑張ってね、大好きだよ、と伝えるようにしてたらいいかなと。

でも、なんかうまく出来てないんだろうなぁ。
そもそも考え方も違うのかなぁ。。

今の自分が正しいと思い込んだらアップデートにもならんので、まずは変わるべきところを自覚しないといけないですよねぇ…。

自主・自立・自律を育てる方法。

ただ、そんな事をいいながらも、頭では分かってる事もある。

子どもに限らないけれど、自主・自立・自律を育てるには、とにかく『自己決定』を積み重ねるのが大事だってこと。

例えば、声掛け、言葉掛けは、問いかけor提案の形式にする。

大事なのは『対話』って事だよね。

・どうしたの?
・どうしたいの?
・困ってることはあるか?

自分の言葉が出てこない時には、こんなのあるけどどう思う?とか、どうする?とかね。

前で述べたよな事は、考え方の部分で、実践に関してはそのまま感情的に伝えるのではなくて、こんな風にアプローチは気をつけないとだよね。

という訳で、一人で愚痴って、一人で完結!

ひとまず自分の気持ちを吐き出す事で整理するのも大事よね。

間違ってる部分、よくない部分もあるだろうけど、今後のご指摘やご指導、教訓を糧にしての自分の成長に期待します(笑)

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。