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遺書No.717 死刑執行論。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.6.24
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NEVER ENDING

この言葉に出来ない想いの鎖と重い楔。
いつになれば解き放たれるのだろう。
あぁどうか我に希望を。




こんばんわ、みーくんです。




前々から思ってたけどさ、
死刑廃止論者は法務大臣になっちゃいけんと思うんよね。

結構前の話になるけど、
中々書く機会が無かったから書いてしまおう。

杉浦法務大臣は何で法務大臣を引き受けたのか?
彼は死刑廃止論者で、大臣就任会見でも
「死刑執行の判子は押さない」
と死刑制度廃止論者の立場で語っている。

杉浦氏が、一人の議員としての立場で、
死刑廃止を訴えるならいい。

しかし法務大臣になったからには、
速やかに死刑執行を行う義務はあるはずだろ?
死刑廃止論者なら、
法務大臣は受けるべきじゃねーっしょ(‘A`)

後藤田氏が法務大臣になった時も、
死刑がとまり持論を展開していた。
死刑制度が悪いような発言はいかがなものか?

後日杉浦氏は発言を撤回したが、
杉浦氏が大臣である期間は、
おそらく死刑執行に判子を押す事は絶対ないだろう。


冷静に考えて欲しい。


日本で死刑判決が出るには、
単なる人殺しとは違う。

悪質、残虐、反省が見られない、
3つの内のどれか一つが、
必ず当てはまる人間しか死刑判決をうけない。

個人的に日本の法律下において死刑判決が出るような受刑者なら、ほぼ問答無用で死刑でいいのではと思っているが、日本では殺人罪であっても、多くは死刑判決より無期懲役刑になる。

その狭き門をくぐり抜けて死刑判決をうけた犯罪者は、当然その狭き門をくぐるだけの犯罪を侵した者でしょ。

被害者の殺害されるまでの恐怖や、
残された被害者家族の思いを考えずに、
杉浦大臣のように軽々しく、
「人が人を殺す制度に疑問を感じる」
なんて加害者をかばい被害者感情を無視するような発言は、個人的には人として考えられない事だと思っている。

※「人が人を殺す制度」に問題が介在する余地はないとは思ってる訳ではない。

ましてや、最高責任者の法務大臣の発言とは到底思えない。

遺族や被害者を第一に考え、
死刑制度に拒否反応のない人が大臣になるべきではないか?
勿論小泉首相にも任命責任はあるだろう。
是非、国会で厳しく追求して欲しい。

赤穂浪士の話を知らん若者もいるだろうけど、
親の仇を取った大石内蔵助は、
銅像や神社も出来て、
国民的英雄になっている。

しかし現代では、
被害者家族は大石内蔵助にはなれない。
仇討ちが出来ないからには、
裁判所、法務大臣が、
被害者にとっての大石内蔵助にならないと困る。

てか、主義主張も思想も自由だけど、
大臣になるからには職責を果たせと思うのだが、
何か間違った事は言っているか?

死刑反対なら、任命拒否するか、
即刻辞任すべきなんだよ。

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2022.6.29
毎日遺書を書き始めた当時717日目の投稿内容。
以前にmixiが流行ってた頃に、生命倫理というコミュニティで死刑存廃論について盛大にバトルした事を思い出した。あの頃は年齢も考えも若かったわ…。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。