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あたりまえの母親像や父親像、それもう時代劇だよね。

こんばんわ、ナツキのパパです。

ワンオペ育児の母親は勿論のこと、ワーママさん達も含め、現代社会のママさん達の大変さは、男のボクには想像できるなんて軽々に口に出来ない程に、根深くて大きな問題ですよね。

現代社会の「母親」にある苦しみの包囲網

それはワンオペ育児の圧倒的な心身の疲労感だったり、育児に弱音を吐く事は「母親の資格」が無いのではという自信の喪失だったり、余裕の無さから思わず発した我が子への言葉や、手を挙げてしまった行動への自己嫌悪のループだったり、自分の愛情不足を根拠とする自己否定感だったり、それらの全てに通じる「何一つ自分の思ったように進められない達成感の慢性的喪失状態」だったり、泣いても逃げちゃ行けないという責任感や、終わりのない見えない苦しみの中で巨大化する孤独感だったり、総じて、そんな苦しみに対する旦那さんの不理解だったり…

たぶんボクには想像できない程の苦しみが、他にもまだまだ沢山あって、それらは未だに「世間の母親」を包囲していると思います。

原因は実態のない「理想の母親像」

そしてそれらの苦しみの根底には、きっと昭和のドラマやアニメに代表される家庭像や、機会均等や同権に始まるウーマンリブ台頭後のキャリアウーマン像など、高度経済成長期のメディアに形成された「理想の母親像」が刷り込まれていて、殆ど幻想のような100点満点のモデルが、あたかも「当たり前の女性像」であるかのよに母親の「比較対象」になってしまっているのかな…と感じています。

特に働き方や夫婦のあり方、社会的役割の変化など、遅まきながら時代の転換の訪れがようやく目に見えるよになってきた中で、凄くもどかしい。

絶対に女性だけの問題ではないけれど、女性自身の中でも、いつしか刷り込まれたジェンダー像で縛られているようにも感じます。

元より叶わぬ理想像をあるべき姿と思い込んで比較して凹み、こうではいけないと自己否定感を強めるスパイラル。

男もある意味「父親像」に縛られている

そんな中で、性的役割を前提とする旧態依然とした男社会の構図が中々変わらないのも、当然同じ文脈だよな、と思います。
思考停止した風潮と文化に縛られていて、事あるごとに腹立たしく感じたりするのです。

だからこそ、今のボク自身にも言えるのかも知れないと、時々ゾッとしたり、内省しないとなと思わされます。

また、そんな風に刷り込まれた「理想の母親像」があるように、「理想の父親像」というのもまた、やっぱりあると感じています。

妻の声に耳を傾け、よく話をして、
家事は一緒に行い、子供ともよく遊び、
休日には子供を外に連れ出して遊んであげる。
もちろんそれなりの給料があって、
何より老け込まず動けるスタイルを維持。。

・・・現在の自分と比較すると、
情けなくなりますが…(´Д` )

そして、同時に悪い意味での「固定観念」にある父親像という訳です。

男は外で働いていればいい、とか。
家の事は女の仕事、とかですね。

つまり、女性の社会的位置づけを変えるには、同時にこのような男性の社会的位置づけの認識も、それ以上の速度でアップデートを行わないといけないという事になります。

言い換えるなら、女性の社会進出と併せての男性の家庭進出の強力な推進です。

SNSに溢れる母親の叫びと父親の不理解

twitterをはじめ、SNSで溢れる「母親」の愚痴とSOS。
コメント欄にある女性の言葉は、共感と励ましの海。

一方で男性のコメントや、女性が引用する「旦那」の話は、それら母親の苦しみを理解しない真逆の態度ばかり。

父親が、男が変わらないと、救われない「母親」がいる。
これだけ叫ばれてるのに、まだまだ変わらない社会が悲しいけど、ちょっとでも、一人でも多く変わってほしいから、まずは自分の古い考え方と意識をアップデートしないと、ですね。

スヤスヤと寝息をたてる息子の隣で、布団の中で眠気と闘いながらスマホでの投稿でした。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。