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遺書No.801 感性によるジレンマ。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.9.20
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俺よりも遥かに頭が切れて教養のある人物が、
俺の書いた文章を読みもせずに
『俺にだって彼くらいの文章は書ける』と言う。
プライドや自信がそう言わせるのだろうが、
これだけは言っておく。

文才やユーモアやセンスは、
決してIQや学力に比例しないんだぜ。





こんばんわ、みーくんです。




物事の判断基準が感性に委ねる部分なんて、
他人には伝わらないモノだらけだ。
例えばそれは、本当の恋をした時にも言える。

"今回の恋は明らかに今までのそれと質が違う"

誰かにそう伝えても、
冷静に考えれば「人を好きになる度に思う事だ」と言われるかも知れない。

確かにその意味も分かる。
そういった感情や感覚は確かに存在する。

だけどそうじゃない、
恋の始まりに燃え上がるような熱情が言わせる言葉ではなく、
盛り上がる感情が錯覚させる「初めて」ではなく。


本当に明らかな「違い」を感じる恋がある。



その「違い」自体が何度も訪れるものなのかどうかは知らない。
少なくとも恋する度に感じるような有り触れた感覚ではない。

しかもそれは誰かに伝えたくても、
その「違い」を言葉で伝えるのは決して楽じゃない。

むしろ言葉で伝えるのは不可能に近い。
その違いは理屈で説明できるものじゃないから。
本人にしか分からない。

言葉にしてしまうととても陳腐なモノになり、
「運命」なんて言葉じゃとても信憑性がなくなってしまう。

それは他の誰かが聞いて実感できるような説得力や根拠はない。

理屈ではないのだ。


だからその「違い」を説明しようとも分かって貰おうなんて思わない。

けれど。

たとえ本人にしか分からないものだとしても、
確かにそれは、ある。

えてして本人の感性による「特別な感覚」は、
他人には陳腐で在り来たりなものと捉えられがちでもある。


そんな時、本人はいつも歯がゆい想いをするんだ。



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2022.10.21
毎日遺書を書き始めた当時801日目の投稿内容。
何を言ってるか分からねーと思うが、たぶんこれは妻との出逢って付き合い初めの頃の惚気から始まったのだと思うw


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。