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#8月31日の夜に、学校に行きたくなかった話を。

不登校は不幸じゃない、とよく聞くけれども、私は彼らのことが少し羨ましかった。この言葉を聞いて、学校に行けないことがどれだけ辛かったかと言う方もいらっしゃることは重々承知である。辛い言葉を読ませてしまって申し訳ない。その代わりに、行きたくない学校に行き続けた話をさせてほしい。

本当は学校なんて行きたくなかった。勉強は好きだけど、学ぶことは好きだけど、教室は嫌いだ。成績順位なんて、もっと嫌い。空気を読んで、輪の中で上辺だけを取り繕って生きるのは苦しい。入学してすぐの頃、クラスメイト2人から階段の踊り場に呼び出され、「貴女とは友だちじゃなくて、クラスメイトとして接したい。友だちとしては仲良くなれない」と告げられた。明確に聞こえてくるようになった陰口。もはや陰じゃなくて、自分のことを言われていると明確にわかるように、教室内で悪口のパレードを聞き続けなければいけない。私にも何か原因があったと思う。でも、集団はあんまりだ。次第に、上手に息ができなくなり、過呼吸が続いた。夜も上手に眠れなくなった。明日が来たら、世界が終わってないかな。私の呼吸だけ、何かの間違いで止まってないかな。そう眠りにつく日が続いた。朝が来て、学校は休めるはずもなく、鉛のように重いセーラー服に袖を通す。朝補習の時間に起きられなくなり、遅刻をよくした。先生にもよく怒られた。学校に行っても、眠れていないから授業中によく目を閉じて空想の旅に出た。教室にいられないときは保健室に行った。お昼の時間は苦痛で、ひとりで食べていれば目立つ。嫌な笑いが聞こえる教室で食べるお昼ごはんは、何とか今日を生き延びるための餌。ストレスで無数の口内炎ができて連なった。歯科医院で泣きながらレーザー治療を受け、その不甲斐なさでさらに泣いた。「辛かったね、痛いよね」と優しい目をした歯医者さんが言うたび、堪えきれず涙がこぼれた。食事が上手にできなくて、毎日お湯につけたご飯やお茶漬け、お粥を食べた。苦しみながら食べているのを見られたくなくて、薄暗い保健室でお昼ごはんをひとりで食べた。少し細くなった腕を見て、もう死のうかと、何度も思った。

今でも、ご飯を上手に食べられないことがある。あの時のことを思い出したり、夢に見たりして魘される。過剰なほどの自責思考が身につく。この歳になっても、自分のことを話そうと思うと、涙が止まらなくなる。現に今、この文章を書きながら涙が止まらない。もっとあの頃の自分が強かったら、こんなにならずに済んだ方法があったんじゃないだろうか。それよりも、こうなってもどうにか立ち直る方法が、どこかにあったんじゃないだろうか。どこで何をどう間違えたのか、考え始めると消えたくなるし、キリがなくてもうやめた。今とこれからを、もっと幸せに生きられる方法を探そうとする。でも時々、あの頃を思い出して消えたくなり、高いところに登りたくなる。高所から街を見下ろすたび、小さく見える人影に安心して、まだ今じゃないと心を落ち着ける。

8月31日の夜に少しでも辛くなったら、今年は9月1日の夜にそうなるのかもしれないけれど、休んでもいいと思うんだ。もしかしたら、休んだ先でずっと休み続けることになるのかもしれない。どこかでふと、学校に行きたい、行こうと思えるかもしれない。不登校だった友人は、何かのタイミングで自ら部屋を出て、外の世界と繋がれるようになったらしい。大学にもちゃんと行って、部活をがんばって、今は元気に働いている。不登校になっても、勉強はできる。現に私の友人で、不登校だったけど自力で勉強をした高学歴がいる。社会性が身につかなくなるとは聞くけれど、学校に行き続けても、社会性なんて皆無の私。それでも仲の良い友人はいるし、どうにか働いている。元は不登校でも、ちゃんと働いていけるし、勉強だってできるし、そんな人が私の周りにいる。

学校に行きたくなければ、休んでもいいよ。もしかしたら、家庭内も暗闇の場合がある。私もそうだった。そうなったら、学校に行き続けるしかなくなるよね。そうなったら、校内で安心して息の吸える場所、保健室や図書室などを見つけよう。それも難しかったら、ねえ、どうしよう。

世界は広くて、すべてが美しくはないけれど、美しい世界もある。このことだけ覚えておいてほしい。どうにか、広い世界へ旅立つ方法を見つけて、どうやったら居心地の良い場所へ行けるか考えてみよう。私は大学で関東に出てきてから、昔より息がしやすくなった。似たような境遇で苦しんだ人に出会った。ありのままの存在をまるごと認めてくれて、私の闇を少し照らして哀しみに涙して、大嫌いな自分のことを好きだと言ってくれる人たちに出会った。思っているより温かくて、優しい世界があることを知った。田舎の狭い世界で触れることのなかった世界は、すべてが美しいと言い切れなくても、息はしやすい。前よりも笑うことが増えた。そんな自分らしくいられる場所を、どうかあなたも見つけられますように。

「大学は関東で。どうせもう死ぬんだから死ぬほど勉強して、大学行こう」と決めて、心を無にした当時の私。死んだように生き延びてくれた貴女のおかげで、少し息しやすくなったよ。乗り越えてくれて、ありがとね。8月31日の夜に、丸の内のベンチで泣いちゃう人生でも、今はちょっとだけこの人生好きだよ。

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