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[小説]『朔の日 歌う月の鳥』⑨

<第九話 ヨルから見えない世界>

 心に大きなカナシミがある人にだけボクの言葉が届く。

 カナタはそれを”神様からのギフト”だと言った。
突然の事故でパパとママがいなくなったカナタ。
 そんなカナタに届いたボクの言葉が、カフェ「朔(ついたち)」の店主、
満月(みつき)さんに届かないことがずっと不思議だった。
だからニャーンと聞こえるだけだと思ってつぶやいたんだ。
「好きって言えばいいのに」って。
 
「満月さん、ひどいよ」
 実はボクの言葉がわかることを六年も黙っていた満月さんに(と言っても最初に話しかけた時に、きょとんとされてから一度も言葉が届くようには話しかけていないけど)、ボクは文句を言って、水槽にこもった。
「ごめんね、ヨル。本当にごめん」
 何度も何度も謝る満月さんに、それでも背中を向け続けていると
「最初は、ただびっくりしたけど、正体に気づいたことがヨルに知られたらヨルは姿を消すのかなと思った」なんて言い出した。正体ってなんだよ。
「そういう物語っていくつかあるから・・・でも、ヨルにしてみたら無視されたのと同じだね。今さらだけれど本当にごめんね」
「ボクは」
 あまりに満月さんがしょげているので、水槽から降りて近づいて、手のひらに顔をこすりつけた。いつものように満月さんの手はボクの頬を包み、
あごをなでる。
「ボクの声が聞こえないなら、良かったなとも思ったんだ」
「どういうこと?」
「カナタには絶対絶対、内緒だよ」
 ボクはボクの声が大きなカナシミがある人にしか聞こえないことを言った。しかもボクから話しかけた人にだけ。だから今、ボクの声が言葉で聞こえるのはカナタと満月さんだけだ。
「そうだったの。理由を知ってカナタが傷つくかと黙ってくれていたのね。ありがとう。それに」
 満月さんの手が耳のうしろにふれる。
「私が聞こえないなら私のカナシミは深くないんだって、安心してくれていたのね」
 満月さんはやさしく微笑んだ。ふと思う。新月(しづく)という名だった
カナタのママは、妹である満月さんに似ていたんだろうか。
「私はね、ヨル。あなたがカナタとおしゃべりしているのを見た時に、消えたりしないんだとわかって安心したの。それでね、今度はカナタがわくわくしている様子を見て、彼だけの秘密を守りたいと思ったのよ」
「言い訳ばっかだな」
 そう言いながらもボクは撫でられてデレデレしていたらしい、満月さんは笑って「明日はスペシャルご飯を出すわ」と言った。
「じゃあそろそろ二階に行くよ。カナタが目を覚ますとボクを探すから」
 今日のカナタは、潮干狩りのあとここに泊まりに来て、トリさんどころかタッキーにまで会えたから、ずっとはしゃいでいた。
「朝まで起きない気もするけどね」
 そう言って満月さんはボクをもう一度なで、仕込みをするためにキッチンに向かった。
 
 二階に行くと、カナタは想像した通り、ふとんからはみだすどころじゃない、うんと離れた床の上で気持ち良さそうに寝ていた。
「カナタはトリさんもタッキーも大好きだもんな」
 タッキーは今夜トリさんの家で泊まるらしい。ふたりが残った日本酒の瓶をぶら下げて店を出る時、カナタがうらやましそうな顔をしたので、タッキーは「明日、林ファームでスナップエンドウの収穫を手伝うけど、カナタも行くか?」と言い、トリさんは「トウモロコシと枝豆の種も蒔きたいから来てよ」と言った。
 カナタの笑顔がはじけて「俺、戦力になるよ」とガッツポーズをした。
「よし!じゃあ明日は人手があるから、おやっさんには休んでもらおう。みんなでモリエさんとデートに行くようお膳立てしようぜ」
「いいですね。やりたいことリストは制覇したおふたりですから、こちらから提案しましょう」
「モリばぁも喜ぶね!!!」
 そんなふうにカナタの気持ちを大事にするタッキー達にボクは思う。このヒト達にならカナタを任せられるなって。
 だってボクはここにいる時のカナタしか励ませない。カナタの世界のほんの片隅にいるだけだから。
 
☆   ☆ ☆
 
 あの日。タッキーが卒業論文にカナタとのやりとりを書くつもりだと知った満月さんが怒った時。
 ボクは二階のカナタを気にしながらも、うつらうつらしたフリをして水槽にいるしかなかった。
 あの時ほど、出入り禁止の店内に飛び出していきたかったことはない。タッキーに「バカバカ!」って肉球パンチをくらわせたかった。
 カナタはタッキーのこと大好きなのに!
 ボクだってヘソ天しちゃうほど信じていたのに!って。
 でも、それは誤解だった。満月さんが落ち着くのを待ってタッキーが話したことは、ボクも知っているカナタとタッキーの思い出話だった。
 
「カナタくんに初めて会ったのは、彼が小学校に入学したばかりでしたよね。屈託がなくて、とてもご両親を事故で亡くしたように見えなかった。ああ、この子は祖父母や満月さんにいっぱい愛されてここまで育ったんだなと思ったんです。でも同時に、本人は記憶になくても心に傷があるんじゃないか、実は大人の顔色をうかがって子どもらしい子どもを演じているんじゃないか、と気になってしまったんです。それで」
 タッキーはカナタと作った風鈴を見上げた。海辺で一緒に拾った貝殻を使ったものだ。
「この子にSOSのサインが見られた時に、僕が学び始めたことが助けになるかもしれない、同時に自分の経験にもなって、いつか同じように喪失を抱えた子にも、役に立てるかもしれないと考えたのは事実です」
 満月さんは黙ってシャッターを半分おろした窓の外を見ていた。
「でも、卒業論文がよぎったのは、本当に最初だけで、その考えはすぐ捨てました。無意識にでも被験者のように扱ってしまうのが怖くて。いや、意識した上で質問することはあるだろうし、つまり、そう思われるのがいやだなって。それくらい、カナタくんがここに来ることを楽しみにしている自分がいたんです」
 タッキーはお客様向けの本棚を見た。絵本や図鑑が並んでいる。
「僕のライバルはカナタくんのおじいさんでした」
「え?私の父?」
「はい。カナタくんにいろんなことを教えたい、経験させたいと思うのに、おじいさんには敵わなくて。カナタくんが博物館や科学館に連れて行ってもらった話をする時、本当に生き生きしていて、良かったなと言いながら実はくやしくて。それで、物理の先生をされているというおじいさんが教えなさそうなことを探して、張り合っていました。一方的に」
「あはは」
 満月さんがようやくタッキーを見た。もう泣いてはいない。
「じゃあ、折り紙って」
 タッキーはお店に来た子ども達に、恐竜や風船や花の折り紙を渡していた。ママさん達から頼まれて折り紙教室を開いたこともある。クリスマスオーナメントの時なんかは、大人も参加していた。
「大学デビューです。本を見ながら必死に折るうちにハマって今では趣味のひとつです」
「折り紙は言葉のいらない手紙だってカナタは言ってたわ」
「そうなんですよ、外国の方に渡しても喜んでくれるんです。折り紙に限らず音楽やダンスも、言葉がなくてもコミュニケーションが取れるものって、楽しいし役に立つ。庭をお借りしてやったフィンガーペイントも楽しかったな。きっかけはカナタくんでも、結果自分のためになることが多かった。カナタくんとの日々が、僕に行きたい道を教えてくれた気がするんです」
 
 一気に話したタッキーをじっと見て、満月さんは頭を下げた。
「私はさっきあなたにひどいことを言ってしまった。こんなにカナタのことを想ってくれた人に。ごめんなさい」
「いえ、それは僕の話の仕方が下手だったからです。あやまらないでください」
「でも申し訳ないし恥ずかしい。私はとてもパーソナルスペースが広いんだと思う。問題はそこにカナタを引き入れて巻き込むところ。カナタにはカナタの世界があるのに」
 くちびるを噛む満月さんに、タッキーが首を振る。
「満月さんはそれでいいんです。その警戒心が子どもを守ることは実際多いですから。このあたりは、地域で子どもを育てようという結びつきのしっかりした場所ではあるけれど、どこでもそうとは限らない。誰彼構わず子どもを任せていいわけじゃない。カナタくんが、どんな関わりの中で何をどう感じ取っていくのか。ちいさな変化にも気づくのはやはりご家族ですから。満月さんは満月さんのまま、カナタくんを見守っていけばいいと思います」
 満月さんの目からまた涙がぽたぽた落ちた。タッキーがそんな満月さんに手を伸ばしかけて、引っ込める。
「そうだ、まだ飲み切ってないですよ、せっかくのシャンパン」
 タッキーはキッチンに行き、グラスを洗って持ってきた。満月さんが
さっき怒り任せに、テーブルから取り上げて、シンクに持って行ってしまったシャンパングラスだ。
 それを見てまた満月さんが「短気でごめんなさい」と、うつむく。
「知ってますよ。毎日じゃなくても、五年半も一緒にいたんですから」
 ふたりはもう一度乾杯をした。
 
「それで結局卒論のテーマは、性的マイノリティーにしたんです」
「性的マイノリティーって、LGBT?」
 満月さんの言葉にタッキーがちょっと考える。
「性的マイノリティーってLGBTだけじゃないんです。ただ、LGBTを性的マイノリティーの総称として使う場合もあるので、難しいんですが。僕はカウンセラーになって、自分の性的指向などで悩む子に出会う前に、まずは自分がちゃんと自分らしく生きていないと、と思ったんですね」
「滝君自身が」
「そうです。だから掘り下げようと卒論のテーマにしました。とはいえ卒論でカミングアウトする気はないんですけど」
「え」
 タッキーがシャンパンを飲み切って、深く息をついた。
「満月さん、酔った勢いだと思ってくれてもかまわないんですが」
 タッキーがそう言って満月さんに近づいた時に、シャッターが開く音がして、トリさんが飛び込んできた。

「いやー、おやっさんが、軽トラで通りかかったらまだ明かりがついていたぞっていうから」
 固まるタッキーと、一歩下がる満月さん。
「あーっ、やっぱりな。ふたりだけでいいもの飲んでるじゃん」
 くやしがるトリさんにタッキーが、「何に対して、くやしがっているんだか」と、あきれたようにつぶやく。
「残りは鳥海さんに差し上げますよ」
「え、これ滝君が持ってきたシャンパン?」
「僕が満月さんに就職祝いでもらったシャンパンです。あ、口つけちゃってますけど、このグラスでどうぞ。嫌なら洗ってきましょうか」
 淡々と言いながらタッキーは、トリさんのリアクションを待たずシャンパングラスに注いだ。
「僕はもうだいぶ酔ってしまったので」とタッキーはビアグラスに水を注ぎ、満月さんはまだ飲んでいる途中のグラスを持った。
「乾杯の音頭は鳥海さん、お願いします」
「え、俺?」
「何度も言いますけど、僕のお祝いなんですから。満月さんにはじゅうぶんすぎるほど、あたたかな言葉をいただきました」
 満月さんが困ったように首をかしげる。トリさんは「そっか、じゃあ」と目を泳がせてボクに気づいた。
「あれ、まだヨルがいる。ヨルも淋しいのかな。滝君がいなくなること」
「ヨルも、って、鳥海さんも淋しいってことですか」
「え、そりゃそうでしょ」あっけらかんとトリさんが言って「淋しいけど、おめでとう!乾杯!」とグラスを合わせた。
 タッキーはグラスを持ったまま、トリさんがシャンパンを飲む横顔をずっと見て、つかの間の静けさのあと「じゃ、僕は帰ります」と身支度を始めた。
「え、もう?せっかく俺が来たのに冷たいなー」
「もう限界なんです」
 勝手口に向かうタッキーを満月さんが追おうとして、「ここで大丈夫です」と止められた。
「卒論、頑張ってね」
「はい。色々乗り越えたらまた来ます」
 
 その後のことはわからない。ボクは寝ぼけまなこで降りて来たカナタに「みつけたー」と抱っこされて、二階に行ってしまったから。
 それはいいんだ。ボクが見えない世界で気になるのは、カナタのことだけだ。
 今日、タッキーが久しぶりに『朔』に来たこと、トリさんとのかけあいは相変わらずだったこと、満月さんがあのシャンパングラスをお店の食器棚にいつも置くようにしたこと、ボクは見えた景色から想像するんだ。
 
 みんながみんなを好きなんだなあって。
 
<第九話 完>
 

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