見出し画像

心にいるミミズ

虫は苦手だがなぜか昔からミミズにだけは触れる。普通にビジュアルは気持ち悪いなとは思うのだが、真夏にアスファルトの上をのたうち回っている様子を見ると哀れで仕方なくなってしまいつまみ上げて土の方へと戻してやることもしばしばある。

嫌悪感が他の虫に比べて少ないのは、益虫としての側面が強いことを知っているからかもしれない。土壌改良の一環として農地でミミズが利用されることを小学生の芋掘り体験の時に教えてもらってから、何となく良いものというイメージがある。羽がないのも良いと思う。羽がある甲虫が大の苦手で、カブトムシやコガネムシに追いかけまわされて泣いたことがあるから。

割とミミズは私にとってはどこにいても良い生き物で、例えば自分の中にいるのも悪くないんじゃないかとすら考える日がある。心の中にミミズがいる感じを想像してみると、案外しっくりくるから面白い。身体よりも更に抽象的な自身の中で蠕動する感覚。痛みや苦しみはなくて、ただ何かが勝手に自分の心を食って耕して住んでいるような。心の、自分の思い通りにいかない数多くの要素のうちのひとつとしてミミズが蠢いているような。

心の所在が分からないので、ミミズがどこにいるのかも分からない。胸の辺りを這っている気がする時もあるが、脳の奥を掘り起こしている気がする時もあり、足先や背中を移動しているような時もある。とにかく、薄暗い部屋で1人で寝そべっていると、自分に対する「土っぽい感じ」が本当にしてきて、それに伴った耕されてるな〜みたいなもぞもぞする感触だけがある。それは良いとも悪いともつかない無益な想像で、単純に暇な時にだけ気まぐれに訪れる思索である。

そうこうしているうちに、小鳥が突然やってきて、鋭い嘴でミミズを抉り取ってあっという間に飲み込んでしまう。それはそれで良い。多分その鳥はピーチクパーチクやたらにうるさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?