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水面とイチョウ

風を見たくなったら、水面を眺める。
木の枝を離れ、ひらひらと舞うイチョウを凝視し、そこに風の存在を、空気の存在を、重力の存在を認識する。見えないということは、無ではないということ、わかってるけどさぁ。目に見えないくせに、それなのにそこに存在しているなんて、ずるいなあと思う。

側から見たら、水面、イチョウを見つめる人に見えるのだろう。結局その行為の目的を知るのは私だけだと思うと少し誇らしい、得意げな気持ちになる。あなたにはわからないでしょ、と。そうやって私は私自身を確立させる。だってそうじゃないと私が存在する意味はなくなってしまうから。

「あなたにわかってもらいたいの」
きっと君もわかってる、そんな欲は相手への愛の先にあるものではないってこと。
自分自身への愛、愛されたいという枯渇の塊から生まれる願望。欲望。承認欲求。最近流行りの?Self-loveのための材料にするなよ。なんとも傲慢で、とても寂しい欲求。けど人間はそういう生き物だから、今日も元気いっぱい生きようね

私は誰からもわかられたくない。
自分ですらまだわからないのに、自分のことすらわからない君に、私の何がわかるのかい。

そうやって相手を試して、それでもわかろうとして欲しくて、そうやって私はもっと自分を嫌いになる。人間はなんと、なんと複雑な生き物なのか。って、何百年も前のみんなも同じ意見なのかな。
どうしてわたしの人生の主人公は、一人称はわたしなのかな。あの人の気持ち全部知りたい。その脳みその、複雑で単純な思考回路を感じてみたい。一回でいいの、そうしたらもう満たされるから。

これって愛?

 小さい時からわたしの脳みその中では、瞬間移動が起こる。「瞬間移動は可能だった!」それは物理的な場所の移動ではなくて、私のこの脳みそ内の、(蟹味噌って、カニの脳みそ?)脳みそ内の世間話。
記憶と記憶を紡むいでいくように、目に映る全てのもの、匂いや音、空気の温度から引き起こされる。ポンっという効果音がピッタリかなあ。なんの前触れもなくやってくるそれは、とにかくユニークで、自分勝手で、no captionで。運転手はわたしのはずなのに、どうしてくれるんだい。

けどその瞬間移動は常に答えをくれる。1+1が2であるように、そのプロセスの理解が追いつく前に答えが出てくる、これを私は瞬間移動と呼ぶ。

ありがたい話だけど、私はそのプロセスが知りたいのに、その過程を理解せず答えに辿り着く私の脳みそは一体、何が詰め込まれているのかな。

この広大な宇宙よりも自由に、私の世界は広がる。
この大きな海の謎がまだ解明されていないように、光も届かず、呼吸すらできない暗闇の中で私という意識は常に広がり続ける。宇宙が静かに広がっていくように。

あなたはどこにいる?
-私はここよ

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