見出し画像

【大喜利のお題を選んで小話を書きなぐる38】仮面ライダーが今日は徒歩でやってきた。その理由とは?

「仮面ライダー」といえば、俳優の要潤さんのデビュータイトルでしたね(ウィキペディアによると『仮面ライダーアギト』だった様子)。また、ウィキペディアによるとこれがきっかけで「イケメンヒーローブーム」が広まったのだとあります。

私は芸能関係にはめちゃくちゃ疎いのですが(京都在住なので、ドラマ撮影やロケ中の渋めの俳優さんに遭遇することもあるのですが、顔も名前もまったく分からずガン無視してしまったことしかありません。自分に自信もないので、顔が分かったとしても『キャ~!!』とかはたぶんできないです)、要潤さんだけは映画「ピューと吹く!ジャガー」で「ジャガージュン市」役を実写で本当に全力でやりきる姿に感銘を受けてからは大ファンです。ピヨ彦役の人にドロップキックするのすごかったです。本当に大好きです。

・・・ああ、ダメだ、勢いで「ピューと吹く!ジャガー」のウィキペディア読み始めたら、隅から隅まで全文読み込んでしまう勢いです。今は「仮面ライダー」の記事を読まなければ。なぜなら私は「仮面ライダー」について全く詳しくないのだから・・・。

仮面ライダーの悲哀と変化

実のところ、私は「仮面ライダー」をちゃんと見たことがありません。「仮面ライダー電王」だけは大学時代に流行っていたから、ちょこっとだけ断片的に記憶があるような気もしますが・・・。

仮面ライダーシリーズは明確なフォーマットが確立していない。そのため、テーマや演出は作品によってまちまちである。平成年間の数作品のプロデューサーを務めた白倉伸一郎は、「仮面ライダー」を成立させるための最低限の要素として、以下の3つを挙げている。
同族同士の争い
シリーズ第1作『仮面ライダー』では、主人公もその敵である怪人も、ともに悪の組織「ショッカー」によって生み出された存在である。
親殺し
仮面ライダーがショッカーを倒そうとするのは、すなわち自分の生みの親を滅ぼそうとすることである。
自己否定
仮面ライダーが勝利できたとしても、彼自身の出自がショッカーにあるので、最後には自分を消さなくてはならない。
仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの双方で監督を務めた経験を持つ田﨑竜太は、「戦隊と比較してライダーは『個』である」「人間という集合体の中の一番はじっこにいる」「境界線ギリギリのところにいるか、あるいは踏み越えている」のように述べている。これを受けて「共生のための国際哲学教育研究センター」 (UTCP) 上廣共生哲学寄付研究部門特任研究員の筒井晴香は、「仮面ライダーとは敵となる異生物と人間との境界線上をさまよい、いずれの側にも安住できない存在である」と解釈している
第1作『仮面ライダー』の初期エピソード群、いわゆる旧1号編では本郷が蛇口をひねって壊したり、子供の手を握って痛がられたりと、彼がもう通常の人間ではなくなってしまったことを強調しており、「改造人間の哀しみ」というテーマを丁寧に拾おうとしている。

出典:仮面ライダーシリーズ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

し、知らなかった・・・あの「ショッカー」という存在は、「仮面ライダー」のルーツでもあったのですね。仮面ライダーとは、「改造人間」であり、悲しい存在なのですね。組織のやり方に反旗を翻し、敵と戦いながら、1人で生きなければならない・・・大切な人を失っても、アンドロイドとして1人生き続けなければならない「キューティーハニー」と似た悲哀を感じます。きっと、彼らが安住できるのは、心を許せる存在ができたときに過ごした、束の間の時間だけなのでしょう。

しかし、私が唯一知っている「仮面ライダー電王」では主人公は普通のヘタレな男子学生で、ライダーパスを返却すればもうライダーへの変身は叶わなくなっていた気がするのですが・・・と思ったら、以下の補足がありました。

平成仮面ライダーシリーズでは、旧作の基本的な設定だった「改造人間」という要素は用いられていない。仮面ライダーが取り返しのつかない手術のために元の体に戻れないという設定は、手術を受けようとする人や受けた後の人を苦しめるおそれがある点や、執刀医を悪として描くことは職業差別となりかねないからという点が考えられる。また、医療技術の進歩によって現実に機械の力で日常生活を送っている人が増えたため、制作者側もそうした人々を不快にしないように配慮している。

出典:仮面ライダーシリーズにおける変身 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なるほど!平成の「仮面ライダー」シリーズではこの設定はなくなっているのですね。現代では、医療技術の進歩で身体の自由を取り戻すことも少しずつ可能になっているのですね。

どうやら、平成に入ってからのシリーズでは「ライダーがライダーになろうとする動機や戦う理由」は大きく変化しており、「善人でも悪人でも、誰でもライダーになれる」「みんなでライダーに変身している」といった状況も発生しているようです。かつての「過去の傷にとらわれている」「孤独に向き合う姿」「人外であることへの葛藤」といったライダーの姿は失われつつある、と。ここについては賛否両論あるようです。

仮面ライダーって徒歩ではやってこないの?

すみません・・・ウィキペディアで仮面ライダーの乗り物についても調べてみたのですが、私は芸能関係以上に車やバイクといった、免許が必要な乗り物にまったく詳しくないため、全然イメージができませんでした・・・

仮面ライダーが「ライダー」である由縁は、バイクへの騎乗にある。これは1971年の第1作『仮面ライダー』の企画段階で、大変なバイク好きとして知られていた毎日放送編成局長・廣瀬隆一が、「新ヒーローにはスピード感が必要だ」として導入した要素である。
『真・仮面ライダー 序章』では主人公風祭真はバイクを常用しているものの、仮面ライダーシンに変身後はそれを駆るシーンも無い。
シリーズの長期化にともない『仮面ライダーBLACK RX』・『仮面ライダードライブ』などではバイク以外に四輪車も用いられ、バイクアクションの比重が少ない作品も生まれている。白倉伸一郎は、1971年当時にバイクが必要とされた理由の本質を「子供たちが興味を持つもの、文化的背景がなくてはいけない」からだとし、「時代の要請によって描き方が変わっていい」「ライダーだからバイクでなければいけないということはない」と述べている。

出典:仮面ライダーシリーズ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なるほど、「ライダー」だからといっていつもバイクに乗っているわけではないようです。確かに、少しだけ記憶がある「仮面ライダー電王」では、ライダーたちは主に「時空を移動できる電車」なるものに乗って移動をしていました。ライダーになって駆け付けるところはバイクだったのかもですが・・・(詳しくないのでご勘弁を)。

今回のお題は「徒歩」でやってきたとあります。つまり、バイクがないだけでなく、走ってすらいない。この時の仮面ライダーは「まったく急ぐ必要がなかった」ということになります。

仮面ライダーって、モノによっては「悪人でも、誰でもなれる」ものらしいのですよね・・・それこそ、変身ベルトさえ手に入れれば誰でもなれる。

つまり、「巧妙な手口で現役ライダーから変身ベルトを盗んできた素人だったから」ではないでしょうか。「パーマン」では何回か主人公がこの手口でパーマンのマントとマスクを盗られています。それこそ現代ならば、仮面ライダーの秘密を探る動画を撮って、Youtubeにでも上げたい。そんな動機で盗みに走る人が出てきてもおかしくないのかもしれません。

ライダーの皆さんは、変身グッズ盗難にご注意を!


「大喜利のお題」は以下のメーカーで作っています。

もしおもしろかったら、♡(スキ)押してもらえたら嬉しいです!

📅特に深い意味のない記事を毎日更新する試み

マガジン「大喜利のお題を選んで小話を書きなぐる」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?