見出し画像

コンサート照明スタッフ時代の話


20歳で専門学校を卒業しました。
イベント関連のノウハウなどが学べる学校でした。

18歳から2年間、千葉の田舎から東京に片道2時間かけて通ってました。

1人暮らしする余裕もないし、仕送りも期待出来ない…
通いであれば、行かせてあげられるよと両親から言われてたから、

すんごいしんどかったけど、通いました。

なんでそんなに頑張れたのか?

当時は、コンサートやイベントが大好きで、あのキラキラした世界の一員になりたい!と

本気で思っていました。

学校の講師も現役の照明スタッフの方々で、学生の身分ながら色んな現場に連れて行ってもらいました。

周りの同期達とも、仲良くやっていました。

そんななか、卒業が近づくにつれて"就職"の2文字がチラつきはじめます。

自分でいうのもなんですが、講師に就職先を斡旋してもらえるように、1年の頃から"頑張ってる"アピールし続けていました。

せっかくこの専門学校に入学したのに、全く違う業種に就く人達もいて、

当時の私には理解出来ませんでした。

今思うと、自分の事を冷静に分析して、勇気ある選択ができてた人達だったんだなと思います。

そして、この"アピール"が地獄行き確定になるとは思いもしませんでした。



1人の講師に気に入ってもらえた私は、目論み通り照明会社へ就職することができました。

イベントは、夕方から夜にかけて本番が多いので当たり前に昼夜逆転。

照明器具などは、余程のことがなければ全て手で運び、

ステージへの設置から、トラックへの積み下ろしなども全てやるので、体力勝負。

男とか女とか関係ない世界でした。

ただ、根強く残っていたのは、"体育会系"。

そう。年長者が偉いんです。

※私のいた会社の話なので、全ての会社がそうではないと思います。

そして、私が入社した会社は、本社が県外にある小さな支店で、

照明部門が、片手で数えられる程度(そのうち2人新人)。

直属の先輩になるはずだった人が、妊娠発覚で急遽退社。

20こ近く歳の離れたオジサンが直属の上司になりました。

この人が、社会人になって初めての"パワハラ"を体感させてくれた人でした。

"俺、デブ嫌いなんだよね"
"なんで俺がお前をみなきゃいけないの?"
"早く辞めれば?なんで辞めねぇの?"

あからさまな悪意・敵意を向けてくる大人は初めてでした。

現場では2人しかいないのに、基本無視。

かと思えば、人前で怒鳴り散らす。
なんで怒られてるのかわかりませんでしたし、今振り返ってもわかりません(笑)

私に何も言わずに帰宅し、フリーの照明さんから帰った事を聞かされることもザラでした。(人数がどうしても足りないので、ベテランのフリーランスの照明スタッフさんがどの現場にもいらっしゃいました。みんな優しくて大好きでした。)

何が気に入らないのか?
自分の何が悪いのか?

辛くて辛くて、会社の事務の人にポロっと相談してしまいました。

"お前!俺が居ないところで俺の悪口言ってるらしいな!"

なんでそうなるのーーー。

悔しくて悲しくて、毎日泣いていました。

入社して初めての3月に、"お前、もう要らない"と言われました。

あんなに頑張って専門学校に通って、念願の照明会社へ入社出来たのに、お父さんお母さんごめん。

でも、やっと辞められるとホッとしたの覚えています。

精神的なストレスが体調にも現れ始めたので、遅かれ早かれだったとは思います。

程なくして、実家に戻りました。

両親は、私が死なないで戻って来たことを1番喜んでいました。心配かけて本当にごめんなさい。

この経験から何年も経った今思えるのは、

●私が何もしていなくても、好いてくれる人はいるし、嫌いだと思う人もいる。
それなら、好いてくれる人に時間を割こう。
なんで嫌われてるんだろう…とか考えてる時間はない!時間は有限!

●自分の進んだ道で必ずしも生きていかなきゃいけないことはない!"西の魔女が死んだ"の「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
この一節に全てがつまっています。

病気になっちゃうくらい苦しかったら逃げよ?

自分が咲ける場所、きっとあるから!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?