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「好きな人となら何でも嬉しい」になれない人生

みなさんお疲れさまです。
今日はもう諦めて恋愛記事を書くことにした夏木です。

一応体裁は整えたつもりですが、いつもより私的な記事になってますのでご了承ください。

さてnoteの恋愛記事を読んでいると「好きな人となら居酒屋でも嬉しい」「一緒にいるだけで幸せ」というフレーズをよく目にします。
とても素敵なことです。
素敵だけど、私は共感することができません。

何故なら好きな人とは日常を共有することを求めていないからです。



恋は病気である

心療内科ゆうメンタルクリニックの院長・ゆうきゆう氏は「恋の病は存在する」とマイナビウーマンの記事で述べた。

恋愛中はドーパミンという神経伝達物質が多く分泌され、やる気や多幸感をもたらしてくれる。
一見素晴らしいことに思えるが、過剰に分泌されると、心の安定を図るセロトニンという物質が減少してしまうのだ。

ほのかな恋心程度なら気持ちや生活にハリが出る。
しかし重度の恋愛は不安感・憂鬱感に苛まれ、不眠や食欲の低下につながってしまう。

「相手のために予定を空けておきたいから」と行動範囲が狭くなったり、そのせいで周囲との人間関係がギクシャクしたり。
他にも、集中力が続かなくなる、情緒不安定となってネガティブな思考ばかりが先行する、など「うつ」に近い状態まで進行する場合もある。

苛烈な恋はもはや病気なのだ。



恋のレベル

以前にも少し触れたが、恋にはレベルがある。

【Level1】淡い恋心。毎日がちょっと楽しくなる。
【Level2】好き。世界がキラキラして見える。
【Level3】大好き。相手が一緒に居てくれると幸せ。居ないと悲しい。
【Level4】死ぬほど好き。病気。身を滅ぼす危険を伴う。

「夏木恋愛白書」より

かねてからビッチを公言している私でも、Level4の恋をしたことは数回しかない。
つまり一般の人ならLevel4の相手には一度も巡り会わない可能性のほうが高いとすら言える。

断っておくが恋に優劣はない。
むしろLevel4を知らないほうが幸せなのだ。

先日、日本大学の新理事長に就任することになった作家・林真理子の著作に「死ぬほど好き」という短編小説がある。
Level4の恋がいかに人を狂気に走らせるかがよく分かる作品だ。

先程「恋は病気」だと書いたが。
Level4は脳内麻薬の分泌が激しすぎる。
だから一度知ったら戻れない

私はそんなLevel4の恋に身を捧げている。



小さな幸せは遠く彼方

本当は羨ましい。
「好きな人となら何を食べても美味しい」「何もなくても一緒に居られるだけで幸せ」と思えたら、どんなに良いか。

私もそういう穏やかさを幸せだと感じる人生が良かった、と思う時もある。
小さな家でペットを飼い、愛する夫と可愛い子どもたちに囲まれる暮らしを幸せだと感じる人生を歩んでみたかった。

でも神様は私にそういう人生を歩ませたくなかったらしい。
死んでもいいと思えるくらいの恋を早々と経験させ、結局今もそんな恋に身をやつしている。

でも恨みはしない。
おかげで人の何倍もの恋と狂気を味わえたのだから、こんな人生も悪くない。
むしろ私らしくていいじゃないか、とさえ思っている。

そして私は知っているのだ。
どんなに激烈なLevel4の恋も、必ず終わる時が来ると。



永遠なんて要らない

Level4の恋は有限だ。
ふたりだけの限りある時を、安い居酒屋や無為な時間に費やしたくない。

一緒にいたからこそ見られる景色。
ふたりでなければ味わえなかった食事。

そうした特別な思い出で埋めていきたい。
恋に日常なんて必要ない。
非日常だけが私の人生だ。

心が震えるような言葉を交わして、このまま死ぬかもしれないと思うぐらい激しいセックスをして、別れ際には身が引き裂かれるような思いをする。
次にいつ会えるかも分からない。
そういう、破滅的な恋で、いい。

ぬるま湯の恋は私を温めてくれるけれど、指先の震えまでは止めてくれない。

だけど少しだけ夢想する。
終わらない恋もあるかもしれないと。

だから今日はそんな奇跡のような夢を見る。
おやすみなさい。
またいつか。



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