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恥じらいが無さすぎる

本屋で文庫本を買うと、必ず店員さんが「カバーおかけしますか?」と聞いてくださる。
私はいつも「大丈夫です」と断ってしまうのだが、電車や外で本を読んでいる人は大抵ブックカバーをかけているようだ。

曰く「人にタイトルを見られるのが恥ずかしい」らしい。

恥ずかしい?
本のタイトルって、見られたら恥ずかしいものだったのか…。



ブックカバーはかける派が与党

気になったのでブックカバー「かける派」と「かけない派」の割合を調べてみた。

「ブックカバーをかける派ですか?かけない派ですか?」
かける:62%
かけない:38%

ダ・ヴィンチニュース

かける人のほうが多いようだ。
私は野党だったらしい。
ちなみに「恥ずかしい」の他に「本を汚れや傷から守るため」という理由もあった。

なるほど。
読書家の人って本を大切に扱ってますもんね。

さて、私は本が好きだが本をあんまり大切にしない
栞を持ってきて挟むのがめんどくさいからページを開いたままテーブルに伏せたりするし、表紙を引っ掛けて破っちゃう時もあるし、ビールを溢してページがぐわんぐわんに曲がってしまったりもする。

本を愛する人たちから殴られても文句は言えない。
顔はやめて。
ボディーにして。

おそらくこういう無精者こそブックカバーをかけるべきなのだろう。
が、かけない。
断じて。



カバーをかけない理由

ギリシャ人の通訳者「アナスタシア・新井・カチャントニ」さん(嘘みたいな名前だけど本名です)によると、本にカバーをかけるのは日本特有の文化らしい。

「物を大切に」という精神と「恥ずかしがり」の国民性から来ているのだろう。

私がカバーをかけないのは本棚に並べる時にどうせ外すからだ。
カバーのまま並べると、何の本だか分からなくなってしまうので必ず外す。

だったら最初からカバーなんか無くていいか。
というわけだ。

電車や新幹線でもありのままの姿の本を読んでいる。

桜庭一樹著「私の男」とか真梨幸子著「殺人鬼フジコの衝動」みたいな本を世間に晒しながら読んでいるのだ。

でも特に恥ずかしいとは思わない。
電車内なんてどうせみんなスマホ見てるしね。



恥じらいを持ちなさいと怒られる

私は多分人より恥じらいレベルが低い

たとえ恥ずかしい目に遭っても「え?今何かありました?」的に堂々と振る舞えるので、相手も「もしかしたら今のは幻覚だったのかもしれない」と思ってくれたりする。

家の中を全裸で歩き回るし、女子高生時代はパンツが見えるのもお構いなしにミニスカで階段をズンズン登っていた。

友人には「パンツ見えちゃうから隠したほうがいいよ」とたしなめられたが、そもそも見られて恥ずかしいパンツなど履いていない。

「別に減るもんじゃないんだからパンツぐらい見せたっていいじゃねえか」などとゲスいオッサンのような考え方を持つ少女だった。

圧倒的な恥じらい不足っ…!

そんな私が未だに恥ずかしくて出来ないことがひとつある。

女子との入浴だ。



大浴場・銭湯に行けない

男とは数え切れないほど入浴してきた私だが、女子とお風呂に入ることがどうしても出来ない。
自分の身体を見られるのが恥ずかしいのではなく、他の女子の身体を見ると「見てはいけないものを見てしまった」という罪悪感に捉われるのだ。

たとえばお母さんに連れられて全裸ではしゃぐ幼女。
「あぁ、幼女の大事なところを見てしまった…。なんて私は罪深いんだ…」

たとえばナイスバディを惜しげもなく晒しながらゆっくりと湯船に足を入れるおねえさん。
「あぁ、豊満なお乳を見てしまった…。ごめんなさい、もうあなたの乳輪が目に焼き付いて離れません…」

こういう具合になってしまうので、他の女子と一緒に入らなければならない時は、サッと身体を洗ってサッとお湯に浸かり、風のように去っていく。

どうせなら男湯に入れてくれ…。
いや、男湯に入りたい。
何もしないから!先っぽだけだから!

失礼しました。



お目汚しのお詫びに

「ブックカバーの話だと思ってたのにヒドイ!」と泣いている可憐な女子のみなさんに、ここで素敵なものを紹介します。

アイスの棒が栞になっている

大阪にある正和堂書店さんのオリジナルブックカバーです。
文庫本の購入者に無料で配っているものなのですが、全国からの問い合わせを受けてネット販売もしています。

こちらはスプーンが栞に

みなさん、カワイイものを見て心が洗われましたね。
これで安心してコメント出来ますね。
めでたしめでたし。


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