デスノートの一番上に書きたい名前
早いもので、noteを始めてから1年以上が経った。
エッセイやコラムに小説、オリンピックに全力を注いだり本能のままにアダルト記事を書いたり、たまに正気に戻って真面目な記事を書いたり。
そうした中で私の家族のことやバックグラウンドについても掻い摘んで綴ってきた。
だが、絶対に書かなかった話題がある。
父親のことだ。
書きたくないと思いつつ、いつかは書いて昇華したほうが良いのだろうなぁと思っていた矢先、近隣の駅で父を見かけた。
今日は私の父親だった男について書こうと思う。
結婚は他人には分からない
以前、母についての記事を書いた。
母は20代後半で同い年の父と知り合い、当時としては遅めの30歳の時に結婚した。
母の一目惚れだったそうだ。
今でも実家の写真棚には20代の頃の父の写真が飾ってある。
これが本当に小林旭の若い頃にそっくりなのだ。
気になる人はググってもらいたいが、端的にいえば昭和のハンサムである。
しかしそんな男が30歳まで独身だったということは、当時としては珍しいことだった。
つまり何らかの欠陥があったから結婚できなかったと見られるのが普通であり、しかし母は結婚に踏み切ったのだ。
そして世の見立て通り、重大な欠陥があった。
母の死後
母は私にたっぷりと愛情をくれたが、父からは何かしてもらった記憶がない。
彼は常にギブアンドテイクの世界で生きている人だった。
子供の私に対しても「お前が何かしてくれるのなら俺もしてやる」というスタンスだったのだ。
だから私は自然と父が嫌いになった。
まだ言葉で上手く表現できない段階ではあったが、自分の都合で生み出した存在に対して自己と同等を求めるという考え方が理解できなかったのだろう。
上記の記事にも書いたが、母は30代で病死した。
そしてそこから父は荒れに荒れたのだ。
悲嘆に暮れる彼に対し、最初の内は多くの人が同情してくれた。
様々な手助けもあった。
が、父は「愛する人を失った自分」を可哀想がるのに手一杯で、私と妹には見向きもしなかったのだ。
ひたすら泣いて酒を飲み、やがて「お前たちがいなければあいつは死ななかったのに」と言うようになる。
出奔
中学生になった辺りから、私も思春期を迎えた。
色々なことに対して敏感になり、自意識を持ち始める。
すると、ますます父親という人間が理解できなくなった。
そうした気持ちが表面上に出ていたのだろう。
父は私に直接的に怒りをぶつけるようになった。
念のため言っておくが性的暴行はされていない。
単純な暴力だ。
家に帰りたくなかったけれど、帰らなければ妹が殴られるかもしれない。
妹のために毎日家に帰った。
私が盾になれば、妹は傷つけられなくて済むから。
けれどある日、限界を迎えて私は家を出た。
妹が父に気に入られるような処世術を身に着け始めたことも大きかったのだろう。
彼女が無事なら、もう私がいる必要はない。
青天の霹靂
友達や彼氏の家を転々としていた時、携帯に妹からメールが来た。
「お父さん、中国人の女の人と再婚するんだって」
あんなに母を愛していたと思っていた男が、他の女を好きになった。
私にとってはかなりの衝撃だったけれど、これで父が安定するのならそれも良しと思ったのだ。
父はその女性と暮らすために家を出たので、私も実家に戻った。
その間、家を切り盛りしてくれていた祖母に礼を言うと、彼女は泣きながら土下座したのだ。
「凛ちゃん、見て見ぬふりして本当にごめんなさい。私が間違っていた」
おばあちゃんは何も悪くないよ、と言ってなんとかその場を収めた。
祖母だって、自分の息子のことは全力で庇いたいに決まっている。
そのぐらいは高校生になっていた私にも分かったのだ。
もう父親ではない男
それから色々なことがあった。
再婚した中国人女性は、当時「蛇頭」と呼ばれる犯罪グループの一員であり、婚姻によって国籍だけ取られて逃げられたり。
その後実家に帰ってきて「俺を住まわせないと闇金で金を借りてお前らを破滅させるからな」と祖父母を脅して居座ったり。
つまりはクズだ。
年を経て「悪かったよ」と何の弁償にもならないことを言う父に、私はこの人間だけは許さないと決めた。
だから父のことはひとりの最低な人間としてインプットしている。
もしもデスノートが手に入ったなら。
必ず私は父親の名前を書く。
お前は人から死を願われることをしてきたんだ。
恥を知れ。
noteは性善説な場所
とても攻撃的なことを書いてしまったという自覚はあります。
けれども私は親が子供に与える影響について考えてもらいたいのです。
noteに頻繁に投稿している愛情深い親御さんは絶対にそんなことはしないだろうけど、人間は闇を抱えています。
それが子供に向く時もあるのでしょう。
子供は自己の都合で生み出した責任だと考えてもらいたいのです。
将来、天才的な科学者になってほしい?
芸術的に優れたピアニストになってほしい?
ふざけるな。
勝手に生み出されてこっちは迷惑なんだよ。
余計な期待なんてかけるな。
もしかしたら「お父様は深い考えがあってのことかもしれません」などと優しい声をかけてくれるnoterさんもいるかもしれない。
でも、そういうのは要りません。
私がこの記事を書こうと思ったのは、先日とある駅で父がフィリピン系の女性と腕を組んで歩いているのを見たからです。
あぁ、この人は自分の好きな人生を歩んでいるんだ。
なら私も人生を好きなように生きよう。
もし父が死んだら、私は花火を上げようと思っている。
どうかお子様に恨まれぬよう、精一杯の愛情を注いで頂きたい、という酔っ払いの戯言です。
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