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恋に生活は必要ない
みなさんお疲れ様です。
異端審問会呼び出し常連の夏木です。
今日友人と電話していた時に「あ、やっぱり私の考えって特殊なんだな」と改めて感じたので、ちょっと文章にしておきます。
私の恋愛観についての話です。
恋に生活を持ち込みたくない
以前こんな記事を書いた。
私は昔から「好きな人とは一緒に住みたくない」と考えている。
だから同棲したこともない。
生活を共にすれば、自分の見られたくない部分を発見されてしまう。
同じように相手の見たくない部分も発見してしまうだろう。
そうなれば冷める。
そして冷めたとしても、ひとりで一から生活の基盤を新たに作り上げるには時間も労力も掛かるので、すぐに出て行くことは出来ない。
結果的に惰性で一緒に居ることになる。
と、こういう状態に陥りたくないのだ。
好きな人の好きなところだけを見ていたい。
そういう人間はおかしな結婚をする。
恋を持ち込まない結婚
長い付き合いのフォロワーさんには周知の事実ではあるが、私は契約結婚をしている。
10代の頃から結婚というシステムについて非常に懐疑的だった。
恋愛結婚が主流となっているが、一緒にいる内に相手を嫌いになったらどうするのか。
好きな人と一生の愛を誓うなんて私には無理だ。
恋愛を介さずに結婚する方法を模索した。
「独身でいる」という選択肢もあったが、私は学もスキルも無いし、なにより結婚=永久就職の時代だったのだ。
幸いにして私の考えを飲んでくれる男性が現れた。
渡りに船。
こうして私は恋をしない結婚を手に入れた。
恋は外でする
断っておくが私は夫を人間的に好いているし、正義感があって仕事に真摯に向き合っているところを尊敬している。
出世したことを「内助の功だね」と言ってくれる人もいるが、完全に夫の実力だ。
あえて下衆な言い方をすると、夫は「家を任せられて外に連れて行けるいつでも抱ける女」を雇ったのである。
実際、私は夫に養ってもらっている身なのでnoteでも「夜の相手もする秘書です」などと自称してみたり。
これは私の意志で決めたことだが、実生活はそんなに殺伐としているわけでもなく。
私が夕飯を作っただけで「ご飯ありがとう」と言ってくれるし、私も「お仕事お疲れ様でした」と必ず言っているのだ。
私は夫に恋をしたことは無いが家族として愛している。
愛する人を傷付けたくない、という思いから、私達夫婦は婚外恋愛を「見えない範囲で」容認しているのだ。
方向性の違い
結婚してからも私は外で恋をした。
夫もそうだろうと思うが、お互いに表面化しないよう努力したおかげで今の状態を保っている。
そんな中、Level4の恋がやってきた。
今でも「彼の為なら死ねる」と思うぐらい好きな人だ。
けれど私と彼では方向性が違った。
彼は「愛する人との生活」を望む人であり、私は「一緒に生活しなくても愛したい」と考えていたのだ。
これはとても大きなズレだと思う。
「一生一緒にいたい」は、彼にとっては生活そのものだろうが、私にとっては人生の一部なのだ。
好きな人に全てを晒したくない。
私の綺麗なところだけを見てほしい。
それが恋というものだと私は考える。
特殊な愛
一般的な話をする。
お互いを好きになってお付き合いをし、相応のタイミングで結婚に至るのが通常の道筋だろう。
やがて子供が生まれ、お互いに見たくない部分も許容しつつ家族愛を醸成させていく。
これこそ愛だと思う。
素敵なことだ。
でも私の愛はそれとは遠く離れている。
彼が地球の裏側に居ても良い。
他の女と享楽に耽っていても良い。
二度と会えなくても良い。
ただ私は今でも愛し、その幸せを祈る。
彼が私の愛を知る必要も無い。
これは私の断片であり、ひとつの愛の欠片を彼に落としたという、それだけのことだ。
これからも私は人を愛していきたい。
「好きかどうか」という次元の話ではなく。
愛を持って人に接していきたい。
それを分かって私に恋してくれる人にいつか出会えたらいいな、と今は思う。
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