ありのままとわがままの違い
ありのままの自分を大切にしたいなあって思う今日この頃。
でもなんだかずっとモヤモヤしている。
「ありのままの自分ってどんな自分?」
この答えがあいまいだからだ。
ありのままとわがままの違いってなんだろう。
例えば、わたしは元来とっても面倒くさがりだったりする。
だから本当は家事全般やりたくないし、お風呂に入ることすら腰が重い。
自分のわがままに忠実に生きるとなると、掃除はサボり洗濯物はたまり、身なりにも無頓着で、ただゴロゴロとゲームをしたりテレビを見たりして過ごすことになるだろう。
でもそんな自分になりたいかっていうと、全然なりたくはない。
むしろ自分のことがイヤになってしまいそう。
どうやらわたしは、わがままに生きたいわけではなさそうだ。
ありのままとはプレーンな自分
ありのままを国語辞典で引くと、こうあった。
実際にあった通り。あるがまま。
(weblio国語辞典より)
うーん、シンプル。だけど正直あんまりピンとはこない。
次に英訳辞典で引くと、こうあった。
〈そのままの〉 as it is [stands]
〈飾らない〉 plain
〈誇張のない〉 unexaggerated
〈むき出しの〉 bare; undisguised
(weblio英和辞典・和英辞典より)
もう少しいろんな意味が含まれていて、さっきよりも「ありのまま」のイメージがはっきりとした形になってくる。
ありのままの自分 = 飾らない自分 = プレーンな自分
ということ、なのかもしれない。
わたしは美味しいプレーンベーグルになりたい
プレーンという言葉を見て思い浮かんだのは、小麦色で表面がつるんとしたまん丸のベーグル。
ありのままの自分になるということは、より美味しいプレーンベーグルになるということなのではないだろうか、とピンときた。
(頭の中に?がいっぱい浮かんだ方も、ちょっとだけお付き合いしてほしい……。)
より美味しいプレーンベーグルになるとは、どういうことか、
それは、ベーグルの素材を使ってクロワッサンになる努力をするのではなく、素材はそのままで生地のこね方や焼き方を試行錯誤して、自分がより美味しいベーグルになるように工夫していくということ。
それはわがままに、何もしないそのままの自分を愛してくれと、放置してカビを生えさせてしまうこととは違う。
自分の中に眠っている良いものを見つけて磨き上げ、さらに良いものを目指していくということ。
プレーンベーグルを選ばなくてもいい
そしてきっと、わたしたちはプレーンベーグルになることを選ばなくてもいいのだ。
みんながみんな、ありのままの自分を目指さなくてもいい。
新たな可能性を探してブルーベリーベーグルになることを目指してもいいし、今の自分とは全く違う、クロワッサンになることを目指してもいい。
わたしは初めて就いた仕事で飛び込み営業を経験した。
ずっと自分には合っていないと感じていて、自分ではない何者かになろうともがき続けている気がしていて、辛くてしんどくて職種を変えた。
今振り返ってみるとその選択は正解だったけれど、営業を続けてどうにか踏ん張ることを選択したとしても、それも正解だったと思うのだ。
どんな道を選択するかが大事なのではない。
結局はこうなりたい、こうありたいという自分に向かって歩み続けることが一番大事なんだと思う。
どれを選んでも正解という中で、わたしはプレーンベーグル、ありのままの自分を選んだ。
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